2012年03月29日
採血
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年18日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年18日です。
_春休み中です。預かり保育のお友だちは来ています

_本日、朝食を食べずに採血をしました。
_昨年は4月1日(金)に採血しました。3月31日(木)に指宿に引っ越して次の日です。初めての仕事が採血だったわけです。
_1年経ったんですね。聖亜幼稚園の一員に少しなれたなあと感じてます

_正直に生きるというのが私の大切にしていることですが、いずれにせよ前に進むことは山あり谷ありですね。2012年度も皆さんと一緒にこどもたちの成長を見守り自らも成長したいです。そして東日本大震災に被災された皆さんと共に歩める1年にしたいと祈っています

2012年03月27日
鹿児島地区保育者研修会−開会礼拝
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年16日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年16日です。
開会礼拝は話が私が担当し奏楽(キーボード)を由子先生が担当でした。
素晴らしい演奏に助けられ時間ぴったりに終われて良かったです。
エレミヤ書32章6〜14節
_6さて、エレミヤは言った。「主の言葉がわたしに臨んだ。7見よ、お前の伯父シャルムの子ハナムエルが、お前のところに来て、『アナトトにあるわたしの畑を買い取ってください。あなたが、親族として買い取り、所有する権利があるのです』と言うであろう。」
_8主の言葉どおり、いとこのハナムエルが獄舎にいるわたしのところに来て言った。「ベニヤミン族の所領に属する、アナトトの畑を買い取ってください。あなたに親族として相続し所有する権利があるのですから、どうか買い取ってください。」
_わたしは、これが主の言葉によることを知っていた。9そこで、わたしはいとこのハナムエルからアナトトにある畑を買い取り、銀十七シェケル量って支払った。10わたしは、証書を作成して、封印し、証人を立て、銀を秤で量った。11そしてわたしは、定められた慣習どおり、封印した購入証書と、封印されていない写しを取って、12マフセヤの孫であり、ネリヤの子であるバルクにそれを手渡した。いとこのハナムエルと、購入証書に署名した証人たちと、獄舎にいたユダの人々全員がそれを見ていた。13そして、彼らの見ている前でバルクに命じた。
_14「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。これらの証書、すなわち、封印した購入証書と、その写しを取り、素焼きの器に納めて長く保存せよ。15イスラエルの神、万軍の主が、『この国で言え、畑、ぶどう園を再び買い取る時が来る』と言われるからだ。」
お話し
_こんにちは。今回、キリスト教保育を実践する園に皆さん心より歓迎しますとともに皆さんに神さまの守りがあることを信じ祈ります。
_今、お読みした聖書のお話しはイエス様が生まれる以前のことです。このお話しは私たちに信仰について教えてくれます。
_エレミヤという人は神さまが選んだ預言者と言われる人です。神さまの代わりに神さまの言葉を人々に告げる役目をもっています。このエレミヤさんが親戚の人に自分土地を買ってほしいと言われます。しかしこれは普通に考えるとおかしい話です。
_エレミヤさんがいるイスラエルという国はバビロンという大国に占領されそうな状況でした。こんなときに土地を買っても有効に用いることはできません。こんな土地よりもお金をもっている方がよいに決まっています。
_でもエレミヤさんは、このことは神さまのお考えでのことだからと土地を買います。無駄なことをしたと思われることを、神さまは無駄にはなさらないとの信じて決断します。
_私たちは損か得か成功する可能性が高いかなど、こう言った物差しで測って自分が何をするか決めることがあります。あまりにこういった物差しに頼りすぎると、自分が何をしたいか、今自分が何をしないといけないと考えているか、といった自分の気持ちを見過ごしてしまうでしょう。
_信じることは、損得や成功するかどうかはともかく、自分の気持ちにしっかりと向き合うために必要なことだと思います。
_エレミヤさんは自分の国が大きな国に占領されそうになっていても、それでも神さまは見守ってくださっていると信じています。
_保育やまたそれぞれの現場で働いていると限界という壁にぶつかることがあります。そんなときに力になることが二つあります。それは自分の強い思いです。こうしたいという思いが自分のなかにしっかりとあることです。もうひとつは神さまもまた一緒に働いて下さっていると信じることです。私たちの努力はその成果を目にすることができることもあれば、わたしたちの思いもしない形で報われていることもあります。
2012年03月27日
鹿児島地区保育者研修会(新任保育者研修会)
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)から
1年16日です。
2011年3月11日(金)から
1年16日です。
2012年度キリスト教保育連盟鹿児島地区保育者研修会(新任保育者研修会)
日時:2012年3月26日(月)〜27日(火)
場所:スパランド裸楽良
*研修日程*
3月26日(月)
13:30〜14:00_受付・登録14:00〜14:25_開会礼拝(献金含)
14:25〜14:30_オリエンテーション (休憩)
14:30〜15:30_講演1 『幼い時に育って欲しいと願うこと、育てたいこと(1)』
_15分休憩
15:45〜16:45_講演2 『幼い時に育って欲しいと願うこと、育てたいこと(2)』
16:45〜17:45_入浴

17:45〜20:00_夕食と交わりのとき
20:00_____自由・就寝 (温泉は22:00まで)
3月27日(火)
7:00〜8:40_朝食 (食後 チェックアウトを済ませる)8:40〜9:00_祈りの時
9:00〜10:30_講演3『キリスト教保育における遊びとはー遊びをとおして育つことー』
10:30〜10:50_休憩、会場準備
10:50〜11:40_休憩、会場準備
10:50〜11:40_知育体操、ボクササイズ等。
_________園長会:花尾の間(本館 宴会場)
11:45〜12:00_閉会祈祷
講師:関西学院 聖和幼稚園 副園長 赤木敏之先生
素晴らしい学びのときを与えれ感謝でした

少し紹介。縄跳びを10回跳べるとします。次に援助するとき20回、30回跳べるようになることよりも、後ろに跳ぶことに挑戦するように声掛けを工夫した方が良いそうです。
理由は回数跳ぶには筋力が増すことが必要です。後ろに跳ぶことは器用さいろんな動きができることが必要です。
さて成長は10歳意向にぐっと伸びます。幼児期はいろんな動きに対応できる力が伸びるときです。
幼い頃自転車に乗れるようになった人はしばらくの間自転車に乗っていなくて大人になってもまたすぐ乗れます。大人になるまで乗れなかった人はたいへんな努力が必要です。幼いときはしっかりといろんな動きに対応する力が身に付くのです。
だからいろんな動きを自然にする外遊びは大切なのです。同じ動きを反復して覚えたり筋力を鍛えるよりも(これももちろん全く無駄なわけではありません)、いろんな動きに動きが対応したり試行錯誤しながら自分で考えて解決する体験が必要です。
やり方を教えてもらってその通りにする力よりも、自分なりに創意工夫して自分で解決する体験することで、大人になっても出会う困難にマニュアルではなく創意工夫で乗り越えることができるのです。
知識はばつぐんにあるのに正しいことと悪いことの判断のつかない大人見かけますよね。自分で考えて決断できないからでしょうね。
ほんのさわりをご紹介です。キリスト教保育に誇りと同時に責任を改めて感じました。
2012年03月25日
〈十字架の勝利〉ヨハネによる福音書12章20~26節
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年14日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年14日です。
受難節第5主日
ヨハネによる福音書12章20~36節
_20さて、祭のとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人からのギリシア人がいた。21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのものとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
_27「今、わたしは心騒ぐ、何と言おうか。『父よ、わたしをこのときから救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは、「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。31今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される。32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。34すると、群衆が言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですが。その『人の子』とはだれのことですか。」35イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
〈十字架の勝利〉
_「十字架の勝利」との主題が与えられました。「の」に込められた意味を考えるとき、イエス様の十字架の苦しみと死によってわたしたちに与えられた勝利だと思います。
_一粒の麦のたとえは、自己保存だけを第一にしていては結局何も生み出すことがないと教えます。自分だけのことしか考えないで生きればやがて自分の死が近づいて来たときに人生の意味を見失うでしょう。人は自分以外の誰かのために生きることで死を乗り越える人生の意味を見つけることができます。
_他の人のために生きようと頑張っても思うようにはいかないことがあります。結局、自分だけのために生きることをやめても人生の意味を見つけることは簡単なことではありません。
_簡単ではないと言えるのは、自分が分かる範囲では、ってことを忘れてはいけません。わたしたちは落ち込んだときちょっとしたことで慰められることがあります。絶望の淵に断たされた人が道ばたに咲いている花を目にするだけで救われることもあるかもしれません。例えば花を摘もうとした子どもが思いとどまって摘むのをやめたことで誰がの絶望を救っていることになっているかもしれません。
_わたしたちはいろんな人に助けられて生きて、いろんな人を助けて生きています。助けられていることは比較的自覚できますが、助けていることは自覚しているよりもしていなことが多くあるように思います。
_もし誰かが自分の人生にはほとんど意味がないと考えていても、それはその人が分かる範囲でこのように判断した結果であって、この人も気づいていないところで誰かが助けられていることがあるはずです。神様はこのようにして人を用いてくださり必要としてくださいます。
_イエス様の十字架での苦しみと死は今なお誰かを助ける力を発揮しています。そしてこれか生まれてくる人にも発揮するでしょう。確かに今の世界の状況を見ると本当にイエス様があんな惨い死に方をしたのにどれほど人の心に届いているのだろうと考えてしまうかもしれません。
_でもそれは飽くまで、「分かる範囲」でのことなのです。わたしたちは自分が知ることができる事柄だけで自分の人生を計ることはできません。神様はわたしたちに溢れるほどの意味を、わたしたちが生まれ生き続ける必要を与えてくださっています。わたしたちはこのことにより勝ちを与えられています。人生を勝利しています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2012年03月23日
理事会・評議員会
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)から
1年12日です。
2011年3月11日(金)から
1年12日です。
午後2時から学校法人鹿児島敬愛学園理事会・評議員会に出席しました。
私は理事です。
2012年度の予算を決定しました。
幼稚園は春休みですね。
早く皆と会いたいです

2012年03月19日
教会懇談会
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)から
1年7日です。
2011年3月11日(金)から
1年7日です。
本日、教会懇談会をしました。いろんなご意見が伺えて良かったです。
この日のために、Yさんがおはぎを作ってくださいました。以前いた山鹿教会にもおはぎを作ってくださる方がいらして私のおはぎ運はかなり良いです

Kさんのアジの酢漬けとMさんの漬け物、K.Hさんのドリンクとお腹も満たされました。
私は基本的に救いの低みへと導かれたいと願ってますので変わった伝道観を持っているかもしれませんね。テレビでドラマ「運命の人」最終回を観て、沖縄を思ってますますその感を強めました。
個人的にはそうなんですが、教会の歩みは皆でと思っていますのでとても良い時間を過ごせて良かったです。話し合う際に、輪になっていましたので順番に話すこと、話がない場合は無理をせず次の人へ、意見に対して意見をなるべくかぶせない、とにかく聞き合うという感じでしました。良かったんじゃないかなと思います。これから続けていけばもっと良くなるのではとおもってます。
懇談会での意見は今まとめていますので、このために先週お配りした私が書いた文書を載せます。
教会懇談会に寄せて
坂田 茂
今回教会懇談会を開催するに当たって思うところを述べます。
1 それぞれ違って当然
まずはそれぞれが自分の思うところを正直に伝えることが大切です。その上で教会のあるべき姿や伝道についての考え方はそれぞれ違うであろうし違うのが当然という前提をしっかりと受け止めることが大切です。なぜなら神さまは一人一人をかけがえのない存在として世に送ってくださったからです。世の中に全く同じ人はいないのですから意見が違うのも当然です。
2 何が正しいかを話し合うのではありません
正しいことを一つに絞ることは、とても基本的な事柄を除くと多様性を損なうことになります。誰もが共通して持つ事柄もあります。それ以外の事柄について何が正しいかを性急に決めてしまうとあたかも正しくない考えをもっている方がいるとしてしまう恐れがあります。
考え方や嗜好に多様性があるのはそれぞれにふさわしい役割があるからです。もちろん自分勝手ではなく協調性があってのことではありますが、一つの正しさに向かえって皆が突き進むのではなく、それぞれが自分らしく教会と関わり伝道することが大切です。
3 具体的な目標を立ててまずはやってみることです
試行錯誤、つまりとにかくやってみてうまくいったりいかなったりした後に、またその経験をもとに次を考えていくのが人の歩みです。議論の果てに結局何もしないなら何かが進展することはほぼないでしょう。思いはいろいろひろがっていくでしょうしそれで良いのですが、その中で実際にできることを考えて多少疑問が残ったしてもとにかくやってみることです。なかなかやれないようなことをどうしたらできるかと悩むよりも実際にやってみれば経験によって得るもの教えられるものがあるはずです。
4 皆がではなく自分が何をするかです
よく、自分はしているのだが周りにしない人がいる、との意見を聞きます。私は自分がやっているのならそれで良いと思います。私は例え物事は進展していくとしても一人一人がよく考えないで周りの意見に流されてしまうことは良くないことだと思います。極端なことを言えば明らかなマナー違反であっても注意を受けるから守るということでは不十分です。自分が周りの人に迷惑をかけ不快な思いをさせているとの自覚がないなら見かけが良くても中身は悪いままです。
教会が見かけが良いけれども中身は悪いままでもかまわないではさびしい限りです。私たちには祈ることと信じることができます。神さまが導いて下さるとの信仰をもち、自分が何かできているのならそこで自分はこれで良いではなく次の事柄が神さまに示されるはずです。それぞれが神さまにつながっていれば一つの体として教会は主に用いられます。
5 まとめ
今私がやってみたいと示されていることをあげてまとめに代えます。
・家庭集会。まずは一年に一回か二回できればいいなと思っています。信徒でどうし尋ね合えますし教会まではお誘いが難しい方やご家族の方との交わりの機会になればと思います。また無理をしてまでしないように気をつけた方がよいでしょう。
・野外礼拝。指宿は気候温暖で風光明美なところがたくさんあります。季節のよいときに外にでかけて自然の恵みを肌で感じながら礼拝をすることもできればと思います。車に乗らない方などは出掛ける機会ともなりますし、またお誘いする機会にもなればとも思います。
・招かれていく。個人的な取り組みになりますが指宿での催しにできるだけ参加してみたいと思っています。地域に関心をもって好きになることが伝道の初めになるかと思うからです。予定が合えばご一緒に出掛けて行くのもよいでしょう。
このような感じで意見を出し合いできないことは保留しできそうなことはやってみる、そうすればやってみた経験から次のことが示されていくのではと思います。
2012年03月18日
ヨハネによる福音書12章1~8節>〈香油を注がれた主〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年7日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年7日です。
受難節第4主日
ヨハネによる福音書12章1~8節
_1過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。そこには、イエスが死者の中からよみがえらせたラザロがいた。2イエスのためにそこで夕食が用意され、マルタは給仕をしていた。ラザロは、イエスと共に食事の席に着いた人々の中にいた。3そのとき、マリアが純粋で非常に効果ナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。4弟子の一人で、後にイエスを裏切るイスカリオテのユダが言った。5「なぜ、この香油を三百デナリオンで売って、貧しい人々に施さなかったのか。」6彼がこう言ったのは、貧しい人々のことを心にかけていたからではない。彼は盗人であって、金入れを預かっていながら、その中身をごまかしていたからである。7イエスは言われた。「この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取っておいたのだから。8貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。」
〈香油を注がれた主〉
イエス様はマリアに香油を注ぎかけられます。これは葬りの準備です。遺体が臭うのを和らげるためです。まだ生きておられるイエス様に注がれたのはある意味縁起でもないことでありますがイエス様はマリアのしたことを神様が喜ばれることだと告げます。
イエス様の葬りの準備だとしても高価な香油をふんだんに使ってしまうのはもったいないことです。それにこんなに大事なことを衝動的にしてしまうのではなくきちんと皆で話し合って皆で計画し実行した方が良いと考えます。
しかしイエス様が十字架の死への道を歩んでおられることと向き合えば冷静でいることはできません。込み上げてくる思いのままに何かをしてしまうことの方が自然です。冷静さを欠いた行動はまわりから見ると愚かなことに見えるでしょう。十字架の死へと向かわれることを悟り冷静さを失い今できる最高のことをしたいと動転してしたことは、動転したことも含めて葬りの準備として必要なのです。受難節を過ごすうえでこのことを覚えることは大切です。
この物語と同様なものはマルコとマタイにもあります。際立って違うところは香油を注いだことを非難している人たちです。マルコは「そこにいた人の何人か」でマタイは「弟子たち」です。ヨハネでは「イスカリオテのユダ」となっていてしかもお金に執着するためと理由までつけられます。
ここには香油を注ぐことの意味を理解できないのは裏切り者のユダだけだと考えていると受け止められます。ここにもメッセージがあります。私たちは香油が注がれる意味を知っていると思い上がります。このことがきちんと聖書に記されています。しかしそれが神様の御心なのです。私たちはレントを冷静に受け止めているのに香油が注がれていることを理解していると思っていたとしてもやはり神様は受け入れてくださいます。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2012年03月16日
第53回卒園式
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)から
1年5日です。
2011年3月11日(金)から
1年5日です。








2012年03月11日
ヨハネによる福音書6章60~71節〈受難の予告〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年です。
受難節第3主日
ヨハネによる福音書6章60~71節
_60ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いていった。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば……。63命を与えるのは、〝霊〟である。肉は何の役に立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
_66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れていきたいか」と言われた。68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」70すると、イエスは言われた。「あなたがた十二人は、わたしが選んだのではないか。ところが、その中の一人は悪魔だ。」71イスカリオテのシモンの子ユダのことを言われたのである。このユダヤ、十二人の一人でありながら、イエスを裏切ろうとしていた。
〈受難の予告〉
東日本大震災から1年です。このときを世界中の人たちと覚えて礼拝に与ります。
イエス様の受難の予告を聞いた人たちは怒っています。人は誰かに期待をすると自分の希望がかなえられると約束されたかのような気になり喜びます。ところがそうではないと知ったとき、自分が思い描いていたようなものが得られないと分かったとき失望します。失望は怒りへと変わります。
イエス様は私たちの罪のために十字架に掛かり苦しみ死んでくださると約束してくださいました。これによってわたしたちの罪が神様に許されると約束してくださいました。でも人々が期待していたものとは違ったようです。
もし願いが一つかなえられるとしたら何を望むでしょう。世界平和とか自分以外のためではなくて自分だけのためという条件とします。誰かを助ける力とかいろんなことが思い浮かぶことでしょう。「自分の罪が許される」との願いはどのくらい強く願われるかと考えるとそれほど強くないと思います。
困っている人を助けたりするのに必要なものは、力や知恵等であって罪が許されることがどんなふうに役立つのかと考えるとピンと来ません。人々はいろいろな問題を解決する力や知恵を期待していたのに、与えられるものは罪が許される約束と知ったとき失望し怒りを覚えました。
イエス様は全ての人を救おうとされ、それは最後に残る一人を見つめておられることです。わたしは福島で原発の放射能漏れを止めるために働いておられる方の記事を読んだときに、自分の罪深さに絶望的になりました。あまりにも過酷で絶望的な事態に目をそらしたくなります。
最後に残される一人を見るには私の罪は絶望的に深いです。しかしこの罪をイエス様が代わりに背負ってくださっているのであれば、わたしのような者もなんとか向き合うことができる希望が持てます。自分の罪深さのために最も苦しんでいる一人から目を背けるならば、私の信仰は何とむなしいことでしょう。
イエス様が約束してくださった許しは、見ておられるところを見ようと願うことができます。私がイエス様が触れておられるところを触れたいとの願いを持つことが許されます。これはなんと素晴らしい恵みでしょうか。私たちは罪の許しを約束されることによって絶対に必要なものと向き合うことができます。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
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2012年03月10日
牧師館の外灯
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月28日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月28日です。
少し前のことですが…。
牧師館の外灯を修理し新しくなりました。とても明るい

教会もこのように暗闇を明るく照らすところでありたいです

2012年03月09日
お別れ遠足
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月27日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月27日です。
昨日3月8日(木)お別れ遠足に行きました。

あいにくの


















小雨降る中ですがハウスのなかなどでうまく雨宿りもしながら散歩を楽しみました。




楽しい思い出が増えて良かったです。フラワーパークかごしまのブログにも載せていただいてます。チェックしてみてくださいね。
2012年03月04日
ヨハネによる福音書9章13〜42節〈メシアへの信仰〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月22日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月22日です。
受難節第2主日
ヨハネによる福音書9章13〜42節
_13人々は、前に盲人であった人をファリサイ派の人々のところへ連れて行った。14イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。15そこで、ファリサイ派の人々も、どうして見えるようになったのかと尋ねた。彼は言った。「あの方が、わたしの目にこねた土を塗りました。そして、洗うと、見えるようになったのです。」16ファリサイ派の人々の中には、「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。こうして、彼らの間で意見が分かれた。17そこで、人々は盲人であった人に再び言った。「目を開けてくれたということだが、いったい、お前はあの人をどう思うのか。」彼は「あの方は預言者です」と言った。
_18それでも、ユダヤ人たちはこの人について、盲人であったのに目が見えるようなったということを信じなかった。ついに、目が見えるようになった人の両親を呼び出して、19尋ねた。「この者はあなたたちの息子で、生まれつき目が見えなかったというのか。それが、どうして今は目が見えるのか。」20両親は答えて言った。「これがわたしどもの息子で、生まれつき目が見えなかったことは知っています。21しかし、どうして今、目が見えるようになったかは、分かりません。誰が目を開けてくれたのかも、分かりません。本人にお聞きください。もう大人ですから、自分のことは自分で話すでしょう。」22両親がこう言ったのは、ユダヤ人たちを恐れていたからである。ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者がいれば、会堂から追放すると決めていたのである。23両親は、「もう大人ですから、本人にお聞きください」と言ったのは、そのためである。
_24さて、ユダヤ人たちは、盲人であった人をもう一度呼び出して言った。「神の前で正直に答えなさい。わたしたちは、あの者が罪ある人間だと知っているのだ。」25彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、わたしには分かりません。ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」26すると、彼らは言った。「あの者はお前にどんなことをしたのか。お前の目をどうやって開けたのか。」27彼は答えた。「もうお話ししたのに、聞いてくださいませんでした。なぜまた、聞こうとなさるのですか。あなたがたもあの方の弟子になりたいのですか。」28そこで、彼らはののしって言った。「お前はあの者の弟子だが、我々はモーセの弟子だ。29我々は、神がモーセに語られたことは知っているが、あの者がどこから来たのかは知らない。」30彼は答えて言った。「あの方がどこから来られたが、あなたがたがご存じないとは、実に不思議です。あの方は、わたしの目を開けてくださったのに。31神は罪人の言うことはお聞きにならないと、わたしたちは承知しています。しかし、神をあがめ、その御心を行う人の言うことは、お聞きになります。32生まれつき目が見えなかった者の目を開けた人がいるということなど、これまで一度も聞いたことがありません。33あの方が神のもとから来られたのでなければ、何もおできにならなかったはずです。34彼らは、「お前は全く罪の中に生まれたのに、我々に教えようと言うのか」と言い返し、彼を外に追い出した。
_35イエスは彼が外に追い出されたことをお聞きになった。そして彼に出会うと、「あなたは人の子を信じるか」と言われた。36彼は答えて言った。「主よ、その方はどんな人ですか。その方を信じたいのですが。」37イエスは言われた。「あなたは、もうその人を見ている。あなたと話しているのが、その人だ。」38彼が、「主よ、信じます」と言って、ひざまずくと、39イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」
_40イエスと一緒に居合わせたファリサイ派の人々は、これらのことを聞いて、「我々も見えないということか」と言った。41イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、「見える」とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
〈メシアへの信仰〉
「メシア」は「キリスト」と同じ意味で「救い主」を表します。元々は「油注がれた者」です。油は香油で体に塗るためのものでこれを注ぎかけることは人間が決めたのではなく神様がご用のために人を選び出したことを表します。
生まれたときから目が見えない人がイエス様によって目が見えるようになりました。この人はイエス様が神様から遣わされた預言者だと悟ります。しかしファリサイ派のある人たちは安息日には働いてはいけないと定められた律法に違反しているとして、イエス様は罪人だと断定しました。
イエス様がなされたことは神様が関わっておられるかおられないかが議論されているわけです。
イエス様が目の見えない人を癒されたことは、生まれつき目の見えない人がこのことによって負っている困難に関わりを持たれたことです。しかし他の人はこの方が負っている困難は罪のためであってこの人自身が負うべきとし関わりを持つことを拒みます。
生まれつき目が見えない人を見えるようにすることが人を超えた業であります。この業は人が関わりを拒む(罪人と言われる)隣人の困難に関わるから始まっています。
2月最終日はRDDという日だそうです。「Rare Disease Day」の頭文字を取った略で、「世界希少・難治性疾患の日」と言うそうです。患者の方が少ない病気は治療法を研究をなかなか進めてもらえません。これは抱えている困難に関わってくれる人がおらず希望が見えない状態であると言えます。効率という人の理論で数が少ないという理由で切り捨てられてしまっていると言えます。
わたしはイエス様の注がれた油とは苦しみではないかと思います。神様はイエス様が全ての人の罪を救うキリストとして選ばれ苦しみという油を注がれました。この注がれた苦しみという油が人の苦しみにまつわる苦しみを代わりに背負わずには負われない道へと歩ませられているように思います。
わたしたちはわたしたちに注がれた苦しみという油を感じるとき見えるのではないかと思います。ファリサイ派の方にもきっと注がれていたことでしょう。律法の決まりではなくこの油を感じていれば違ったことになったのではないかと思います。
わたしたちの罪をイエス様は代わりに負ってくださっている、このことは注がれた油によって指し示されています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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(c)日本聖書協会
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2012年03月04日
お別れ会 〜魔法の言葉 みんなが笑顔〜
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月22日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月22日です。
昨日3月3日(土)、お別れ会がありました。
テーマは「まほうのことば みんながえがお」です。


魔法使いのこどもたちが、季節ごとの思い出を魔法を使い再現していきます。





青組さんのかっこいい合奏と歌です
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みんな魔法が掛かったように笑顔

