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Posted by チェスト at

2013年09月09日

聖霊降臨節第17主日〈隣  人〉

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年5か月29日です。
2013年9月8日(
聖霊降臨節第17主日
ヤコブの手紙2章8~13節

〈隣  人〉
 ヤコブの手紙は行為義人と呼ばれて信仰義人と相対するものだと思われることもあります。果たしてそうでしょうか。信じることと行うことは違うの確かです。まず行いではなく信仰が大切だと勧められたのは、信仰者たちが互いに献金の額や礼拝に欠かさず出席する、たくさん教会のために奉仕するなどと、競い合って人よりも偉くなろうとし、また人を見下すようなことが起こっていたからです。金額の多い少ない、出席した日数、奉仕した時間など計ることができるようなものが大切なのではなく、目には見えない信じるということが大切だと言われたのです。

 それでは行いが大切だという勧めは上のような勧めと相対するのでしょうか。ヤコブの手紙に書かれている状況では、教会で身なりの良い人が来ると丁重に迎えて歓迎しみすぼらしい人が来ると邪険に迎えて見下した応対をしていました。また助けを必要とする人が近くにいても関心を示そうとはしません。ヤコブの手紙では単に信じるだけで何もしないことを批判しているのではなく「人を別け隔てする」ことに対して批判をしています。

 神さまを信じていると表明しながら、人を身なりで差別したり、困っている人を見ても自分には関係のないこととする、なぜその二つの態度が両立するのかと問うています。

 おそらくヤコブの手紙を書いた人は、人が分け隔てする弱さを抱えていることをよく知っていたと想像します。だからこそこのことに関心を払い神さまに祈り求めるべきだと勧めているのでしょう。できない人を責めているのではなくてむしろ弱さを知っているからこそ共に祈り合い勧め合うことを呼びかけていると思います。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
  


Posted by C3 at 13:06Comments(0)礼拝式報告

2013年09月03日

給食献立9月

1日(
2日(月) 〜 二学期始業式、11時30分降園 〜
3日(火)・ゆかりごはん、なすとピーマンの味噌炒め、味噌汁、くだもの。
4日(水)・焼きそば、ねばねばサラダ、牛乳、くだもの。
5日(木) 〜 お弁当の日 〜
6日(金)・三色ごはん、エビフライ、もすぐスープ、ミニトマト、
      くだもの。
7日(

8日(
9日(月)・わかめごはん、味噌汁、高野豆腐と野菜の卵とじ、くだもの。
10日(火)・おはぎ、けんちん汁、浅漬け、くだもの、牛乳
11日(水) クラッカー誕生会クラッカー ・チキンライス、野菜スープ、
      ポテトサラダ、チキン南蛮、プリン。
12日(木) 〜 お弁当の日 〜
13日(金)・冷汁そうめん、ミニおにぎり、ミニトマト、ひとくちゼリー。
14日(

15日(
16日(月/敬老の日
17日(火)・ごはん、すき焼き風煮、くだもの。
18日(水)・カレー、ハムサラダ、フルーツヨーグルト、牛乳
19日(木) 〜 お弁当の日 〜
20日(金)ロールパンコッペパン、肉団子スープ、ひじきサラダ、牛乳、チーズ。
21日(

22日(
23日(月/秋分の日枯葉
24日(火)・中華丼、わかめスープ、つけもの、くだもの。
25日(水)・黒米入りごはん、鮭フライ、じゃがいもの味噌汁、
      千切りキャベツ、くだもの。
26日(木) 〜 お弁当の日 〜
27日(金)・食パン(イチゴジャム)、チキンビーンズ、牛乳、くだもの。
28日(

29日(
30日(月)・ごはん、味噌汁、白身魚の竜田揚げ、春雨サラダ、くだもの。

posted by (C)聖亜幼稚園  


Posted by C3 at 17:59Comments(0)幼稚園給食メニュー

2013年09月01日

聖霊降臨節第16主日〈教会の一致と交わり〉

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年5か月21日です。
2013年9月1日(
聖霊降臨節第16主日
コリントの信徒への手紙一1章10〜17節

〈教会の一致と交わり〉
 一致と言われる場合、どの程度一致しているかが注目されることが多いです。コリントの教会の信仰者たちはあまり一致していなかったようです。いくつかのグループができてそのグループの間に不一致があり対立がありました。この場合、一致していないことが問題なのでしょうか。むしろ不一致があることよりも対立があることが問題ではないでしょうか。
 そうすると一致は、どの程度一致しているかよりも、どこが一致しているかがより重要です。不一致が多くあっても、これさえ一致していれば問題ではないと考えられるようなところがあるはずです。
 祈りの最後にアーメン(同意します)と皆で唱えます。これも祈られる内容一つ一つに同意をしているわけではなく、主の名によって祈られることに同意していると信じます。内容に同意できないことがあっても祈る人が主の名によって祈っているのなら、例え同意できない内容であっても主の働きを信じて同意することができます。
 パウロさんは、言葉の知恵で福音を語ることはキリストの十字架をむなしいものにする、と考えています。誰かの罪を身代わりに背負う行為が正しいかどうかと議論すれば、いろいろな意見が出てくることでしょう。しかし誰かではなくすべての人のゆるしが願われているならば、それを必要とするすべての人はゆるされるべきだという願いは、持つべき価値のあるものです。そして願いはその人の命を輝かすでしょう。もちろん人である限りゆるせないゆるしたくないと思うこともあるでしょう。このような思いを抱えていても願いを持つことはできます。
 コリントの教会の信仰者は優れたところを示しあっていたことでしょう。そして自分たちのグループこそが最も優れていると満足していたでしょう。これこそ主の十字架をむなしいものにすることです。ゆるしが与えられるのは罪人です。
 わたしたちは罪人です。そしてキリストの十字架によってゆるしを与えられています。わたしたちはキリストの十字架のゆるしを宣べ伝えすべての人がゆるされる願いを持っています。ここにこそ一致があり主にある交わりがあります。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
  


Posted by C3 at 17:52Comments(0)礼拝式報告