東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月21日です。
2013年7月28日(日)
聖霊降臨節第11主日
使徒言行録9章26~31節
926サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。
27しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。
28それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。
29また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。
30それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
31こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
〈宣教への派遣〉
教会がサウロさんを受け入れたあと、教会の基礎が固まったと書いてあります。サウロさんは幻でイエス様に出会うその瞬間まで教会を迫害し続けていました。イエス様に出会ったときも教会を迫害するためにダマスコに向かう途中でした。
サウロさんが一番大切にしていたことは神さまと一緒に正しく生きることでした。具体的には聖書に記されている決まり(律法)を守ることです。サウロさんは教会が救い主として言い広めているイエス様を受け入れることができませんでした。イエス様は律法より人が大切だということを忘れてはならないと言われます。サウロさんは律法を守ることが何より大切で、律法にこだわらないことで人を大切にできるなどという発想は許しがたいものでした。
人とは自分が好きなものを同じように好きな人とは気が合います。そうではない人とは気が合わない、こういうことがよくあります。サウロさんにとって教会は、自分が好きなものを大切にしていない人たちの集まりでした。
一方で教会はサウロさんがイエス様に出会ったあと仲間に加わろうとしたときに、信じられずに恐れました。今のサウロさんの気持ちより今までのサウロさんの行動で判断したからです。それでもバルナバさんが熱心にイエス様に出会ったあとのサウロさんの行動を説明し仲間に入ることができました。ここに教会の基礎があります。
平和を保つことは神さまに委ねることです。神さまに委ねることができず自分の考えにこだわると争いがおきます。サウロさんを仲間として受け入れることに賛否両論あったでしょう。最終的には教会の人たちは神さまに委ねました。そう思います。
主を畏れることとは、主の働きが人間の想像できないほどだと信じることです。自分の想像の範囲に神さまの働きを見ている人は畏れの気持ちを持つことは難しいでしょう。あの迫害者サウロがキリストの僕(しもべ)になったなんて考えられない、と思った人は少なくなかったでしょう。それでも神さまにならサウロを導くことができると信じました。
聖霊の慰めを受けるとは、人の慰めを超える慰めです。サウロさんが関わった事件で大切な人を牢獄に連れて行かれたり殺されたりした人は、サウロさんが仲間に加わることは大変な苦痛であったに違いありません。人の言葉ではもはや慰めることはできなかったでしょう。それでも聖霊は慰めを与えてくださる、との信仰がありました。
サウロさんを仲間に加えたことは教会が、神さまに委ね、神さまの働きは想像を超えると信じ、人を超えたお方から慰めがあることを信じた(あるいはこのうようしようとした)ことが教会の基礎を固めたました。そして宣教がいよいよ進んで行きました。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988