二千十一年六月十九日(日)
三位一体主日
詩編八編二〜十節
2__主よ、わたしたちの主よ
___あなたの御名は、いかに力強く
___全地に満ちていることでしょう。
_天に輝くあなたの威光をたたえます。
3幼子、乳飲み子の口によって。
_あなたは刃向かう者に向かって砦を築き
_報復する敵を絶ち滅ぼされます。
4あなたの天を、あなたの指の業を
___わたしは仰ぎます。
_月も、星も、あなたが配置なさったもの。
5そのあなたが御心に留めてくださるとは
___人間は何ものなのでしょう。
_人の子は何ものなのでしょう。
___あなたが顧みてくださるとは。
6神に僅かに劣るものとして人を造り
_なお、栄光と威光を冠としていただかせ
7御手によって造られたものをすべて治めるように
___その足もとに置かれました。
8羊も牛も,野の獣も
9空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。
10__主よ、わたしの主よ
___あなたの御名は、いかに力強く
___全地に満ちていることでしょう。
使徒言行録二章十四〜三十六節
_14すると、ペトロは十一人と共に立って、声を張り上げて、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。わたしの言葉に耳を傾けてください。15今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが考えているように、酒に酔っているのではありません。16そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
17『神は言われる。
_終わりの時に、
_わたしは霊をすべての人に注ぐ。
_すると、あなたたちの息子と娘は預言し、
_若者は幻を見、老人は夢を見る。
18わたしの僕やはしためにも、
_そのときには、わたしの霊を注ぐ。
_すると、彼らは預言する。
19上では、天に不思議な業を、
_下では、地に徴を示そう。
_血と火と立ちこめる煙が、それだ。
20主の偉大な輝かしい日が来る前に、
_太陽は暗くなり、
_月は血のように赤くなる。
21主の名を呼び求める者は皆、救われる。』
_22イスラエルの人たち、これから話すことを聞いてください。ナザレの人イエスこそ、神から遣わされた方です。神は、イエスを通してあなたがたの間で行われた奇跡と、不思議な業と、しるしによって、そのことをあなたがたに証明なさいました。あなたがた自身が既に知っているとおりです。23このイエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡されたのですが、あなたがたは律法を知らない者たちの手を借りて、十字架につけて殺してしまったのです。24しかし、神はこのイエスを死の苦しみから解放して、復活させられました。イエスが死に支配されたままでおられるなどということは、ありえなかったからです。25ダビデは、イエスについてこう言っています。
_『わたしは、いつも目の前に主を見ていた。
_主がわたしの右におられるので、
_わたしは決して動揺しない。
26だから、わたしの心は楽しみ、
_舌は喜びたたえる。
_体も希望のうちに生きるであろう。
27あなたは、わたしの魂を陰府に捨てておかず、
_あなたの聖なる者を
___朽ち果てるままにしておかれない。
28あなたは、命に至る道をわたしたちに示し、
_御前にいるわたしを喜びで満たしてくださる。』
_29兄弟たち、先祖ダビデについては、彼は死んで葬られ、その墓は今でもわたしたちのところにあると、はっきり言えます。30ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。31そして、キリストの復活について前もって知り、
_『彼は陰府に捨ておかれず、
_その体は朽ち果てることがない』
と語りました。32神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。33それで、イエスは神の右にあげられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。34ダビデは天に昇りませんでしたが、彼自身こう言っています。
_『主は、わたしの主にお告げになった。
_「わたしの右の座に着け。
35わたしがあなたの敵を
___あなたの足台とするときまで。」』
36だから、イスラエルの全家は、はっきり知らなくてはなりません。あなたがたが十字架について殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」
〈教会の使信〉
_本日は三位一体主日です。三位一体は神様と呼ばれる存在とイエス・キリストと聖霊が聖書に出てきます。この三つが違うように登場しながらも一つの存在であるとします。
_この考えはイエス・キリストもまた神であり聖霊も神であるとしながら同時に神様はお一人だけと信じることによって出てきた矛盾を解消するために唱えられました。
_私はこの三位一体についてはどのように理解するかよりも信じている部分に注目したいと思っています。つまり分かっていることよりも信じていることをよりよく見ます。
_今日与えたられた主題にある「使信」とはキリスト教独自の言葉で辞書には「イエス-キリストおよび使徒たちの福音宣教の中核的内容。転じて、聖書の言葉から読み取れる内容、説教者の勧めなど。」と書かれています。今日の聖書にも22節以下にペトロさんが多くの人を前にイエスさまについて語っていますがこれも「使信」です。
_このペトロさんの話しをいくつかの層に分けてみます。第一の層は事実です。「十字架につけて殺してしまった」(23節)がそうです。第二の層は信じていることです。「イエスを神は、お定めになった計画により、あらかじめご存じのうえで、あなたがたに引き渡された」(23節)は信じていることです。どちらも大切なことですが事実を知ることよりも信じることによって人は力を得ます。
_当時、イエスさまが十字架にかけて殺されたことはエルサレム中の人が知っていることでした。しかし、それが神様のご計画であると信じた人はその中の一部の人でした。私たちが福音を語り伝えているのは事実を知るためではなくて信じるためです。たくさんの事実を知ってもらうことではなく信じてもらうために語り伝えなければなりません。
_私たちが生きていくことも、たくさんのこことを知るよりも何かを強く信じることが大切です。新しく指宿に来てたくさんの名刺をいただきました。そこには名前とお勤め先と連絡先が書いてあります。仕事上のお付き合いでまず知る必要があることが書かれています。名刺にはその人が好きなものとか趣味は書いてありません。長く付き合いがあると名刺には書かれていないたくさんのことを知るようになるでしょう。しかし人と人が互いに大切に思い合うために必要なのはたくさんの事実ではなく信頼です。
_三位一体の教義もこのことについてたくさんの事実を知ることよりもここから何を信じるのかが大切です。「使信」は
使徒が
信じたことです。イエスさまについてたくさんの事柄を知っても何一つ信じることがないよりほとんど事柄を知らなくても信じることがあることの方が恵みです。
_私たちも生きるなかで起こる事実そのものよりもそれが神様のご計画によるものであることを信じることが福音の本質です。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988