列王記上22章1~17節〈旧約における神の言〉

C3

2011年12月04日 22:49

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
8ヵ月22日です。

降誕節第2主日

列王記上22章1~17節
_1三年間、アラムとイスラエルの間には戦いがなかった。2三年目になって、ユダの王ヨシャファトがイスラエルの王のところに下って来た。3イスラエルの王は家臣たちに、「お前たちはラモト・ギレアドが我々のものであることを知っているであろう。我々は何もせずにいて、アラムの王の手からそれらを奪い返せないままでいる」と言った。4それから、ヨシャファトに向かって、「わたしと共に行って、ラモト・ギレアドと戦っていただけませんか」と尋ねた。ヨシャファトはイスラエルの王に答えた。「わたしはあなたと一体、わたしの民はあなたの民と一体、わたしの馬はあなたの馬と一体です。」5しかし同時にヨシャファトはイスラエルの王に、「まず主の言葉を求めてください」と言った。6イスラエルの王は、約四百人の預言者を招集し、「わたしはラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか」と問うた。彼らは、「攻め上ってください。主は、王の手にこれをお渡しになります」と答えた。7しかし、ヨシャファトが、「ここには、このほかに我々が尋ねることのできる主の預言者はいないのですか」と問うと、8イスラエルの王はヨシャファトに答えた。「もう一人、主の御旨を尋ねることのできる者がいます。しかし、彼はわたしに幸運を予言することがなく、悪い予言ばかりするので、わたしは彼を憎んでいます。イムラの子ミカヤという者です。」ヨシャファトは、「王よ、そのように言ってはなりません」といさめた。9そこでイムラの子ミカヤを急いで連れて来るように」と言った。
_10イスラエルの王はユダの王ヨシャファトと共に、サマリアの城門の入り口にある麦打ち場で、それぞれ正装して王座に着いていた。預言者たちは皆、その前に出て予言していた。11ケナアナの子ツィドキヤが数本の鉄の角を作って、「主はこう言われる。これをもってアラムを突き、殲滅せよ」と言うと、12他の預言者たちも皆同様に預言して、「ラモト・ギレアドに攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と言った。
_13ミカヤを呼びに行った使いの者は、ミカヤにこう言い含めた。「いいですか。預言者たちは口をそろえて、王に幸運を告げています。どうかあなたも、彼らと同じように語り、幸運を告げてください。」14ミカヤは、「主は生きておられる。主がわたしに言われることをわたしは告げる」と言って、15王のもとに来た。王が、「ミカヤよ、我々はラモト・ギレアドに行って戦いを挑むべきか、それとも控えるべきか、どちらだ」と問うと、彼は、「攻め上って勝利を得てください。主は敵を王の手にお渡しになります」と答えた。16そこで王が彼に、「何度誓わせたら、お前は主の名によって真実だけをわたしに告げるようになるのか」と言うと、17彼は答えた。「イスラエル人が皆、羊飼いのいない羊のように山々に散っているのをわたしは見ました。主は、『彼らには主人がいない。彼らをそれぞれ自分の家に無事に帰らせよ』と言われました。」

〈旧約における神の言〉
_イスラエルの王はユダの王に隣国アラムに戦争を仕掛けようと持ちかけました。ユダの王は協力はするが神様の声を聞いてほしいと願います。イスラエルの王は預言者を400人集めて預言させます。預言者たちは一様にイスラエルの王の武運を称える言葉を口に戦争をすることは正しい決断だと言います。いくら王と言えども400人も集めて賛美させる光景を思い浮かべると異様としか言えません。

_ユダの王も同じ思いであったかは分かりませんが、まだ聞くべき預言者はいませんかとイスラエルの王に問います。イスラエルの王はミカヤがいると告げますが彼が悪い預言しかしないので憎んでいると告白します。ユダの王はそれをいさめてミカヤの預言を聞きます。ミカヤの預言は一旦は王の武運を称えますが、醒めた表情であったのか王は本当のことを告げるように命じます。するとミカヤは王は戦場で死ぬと預言します。王は怒りミカヤの預言を無視し戦地へと赴きます。

_私たちは聖書を読んでこの王を知るとき彼を愚かな王だと思うでしょう。しかし私たちは誰しもこの王と似たところを持っているのではないでしょうか。ほめられることが好きで注意されたり将来を心配されたりすると気分を害することがあります。賞賛されるとこの人は自分を分かってくれていて思ってくれていると感じ、批判されるとこの人は自分のことを分かってくれず思ってくれてないと感じます。

_しかし人はほとんどの場合ほめることの方がたやすいことです。それほど親しくなくともほめることはできます。注意をしたり良くないところを指摘することはある程度親しくまた本当に心から思っている人でなければなかなかできないことです。神様は預言者を通して語られました。預言はイスラエルの民にとって耳に心地よいものよりも耳の痛いものが多いようです。ここにこそ神様がいかにイスラエルの民を大切に思っているかが示されているのではないでしょうか。

_人に注意されるような状態のときにも神様はそばにいてくださいます。また隣人を与えて下さいます。このような時に耳にする言葉こそ神様の言葉だと信じられるものだと思います。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

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