ヨハネによる福音書1章29~34節〈イエスの洗礼〉

C3

2012年01月08日 17:48

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
9か月28日です。

降誕節第3主日

ヨハネによる福音書1章29〜34節
 29その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。30『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。31わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」32そしてヨハネは証しした。「わたしは、〝霊〟が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『〝霊〟が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

〈イエスの洗礼〉
ヨハネさんは証の中でイエス様のことを知らなかったと二度言います。信仰を持ちながらイエス様のことを知らなかったと言うことは大きな意味があります。

飛行機が飛ぶのは翼の形が空気の流れを作り翼の上と下の気圧に差ができ揚力が生じることにより飛ぶことができます。理屈はそうですが私のようなものにはなぜあんなに大きな機体が空を飛ぶのかほとんど理解していません。理解していないけれども飛行に乗ることで不安になることはありません。飛行機を作る人たちや運行する人たちを信頼しているからです。

もしも信頼できずに危ないのではないかと思いながら飛行機に乗れば不安になるでしょう。

ヨハネさんはイエス様を良く知らなかったけれども遣わされる神様を信頼しています。そして自分を頼って洗礼を受けにくる人々に必ず導いてくれるお方が来てくださると約束します。

私たちは救われているとはどういうことを指し示しているのか、イエス様とはどんなお方なのか、神様はどんなお方なのか知ろうとします。これは自分が考え判断する材料を得ようとしていることです。しかし私たちはこんなことを知る必要があるのでしょうか。

産まれたばかりの赤ん坊は親を頼り委ねて思うままに生きます。知っていることはほんのわずかです。知らずに委ねていることがほとんどです。

ヨハネさんは人々に、あなたたちを導いてくれる方がすぐに来てくださる、安心して待っていよう、と言います。それはどんなお方ですか? どうやって導いてくださるのですか? もうすぐとは具体的にいつ来られるのですか? と聞きたくなるかもしれません。でもそれを聞いて知ることよりもっと大切なことがあります。

信じることです。委ねることです。 

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988


礼拝後、新年お抹茶会をしました。私は無作法ですが京都出身なんで抹茶は大好きです。

礼拝のあとに抹茶をいただけるなんて幸せです。恒例だそうでこれから新年が楽しみです。

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