東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年14日です。
受難節第5主日
ヨハネによる福音書12章20~36節
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20さて、祭のとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人からのギリシア人がいた。
21彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのものとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。
22フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。
23イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。
24はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。
25自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。
26わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」
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27「今、わたしは心騒ぐ、何と言おうか。『父よ、わたしをこのときから救ってください』と言おうか。しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。
28父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしは既に栄光を現した。再び栄光を現そう。」
29そばにいた群衆は、これを聞いて、「雷が鳴った」と言い、ほかの者たちは、「天使がこの人に話しかけたのだ」と言った。
30イエスは答えて言われた。「この声が聞こえたのは、わたしのためではなく、あなたがたのためだ。
31今こそ、この世が裁かれる時、今、この世の支配者が追放される。
32わたしは地上から上げられるとき、すべての人を自分のもとへ引き寄せよう。」
33イエスは、御自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、こう言われたのである。
34すると、群衆が言葉を返した。「わたしたちは律法によって、メシアは永遠にいつもおられると聞いていました。それなのに、人の子は上げられなければならない、とどうして言われるのですが。その『人の子』とはだれのことですか。」
35イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。
36光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」
〈十字架の勝利〉
_「十字架の勝利」との主題が与えられました。「の」に込められた意味を考えるとき、イエス様の十字架の苦しみと死によってわたしたちに与えられた勝利だと思います。
_一粒の麦のたとえは、自己保存だけを第一にしていては結局何も生み出すことがないと教えます。自分だけのことしか考えないで生きればやがて自分の死が近づいて来たときに人生の意味を見失うでしょう。人は自分以外の誰かのために生きることで死を乗り越える人生の意味を見つけることができます。
_他の人のために生きようと頑張っても思うようにはいかないことがあります。結局、自分だけのために生きることをやめても人生の意味を見つけることは簡単なことではありません。
_簡単ではないと言えるのは、自分が分かる範囲では、ってことを忘れてはいけません。わたしたちは落ち込んだときちょっとしたことで慰められることがあります。絶望の淵に断たされた人が道ばたに咲いている花を目にするだけで救われることもあるかもしれません。例えば花を摘もうとした子どもが思いとどまって摘むのをやめたことで誰がの絶望を救っていることになっているかもしれません。
_わたしたちはいろんな人に助けられて生きて、いろんな人を助けて生きています。助けられていることは比較的自覚できますが、助けていることは自覚しているよりもしていなことが多くあるように思います。
_もし誰かが自分の人生にはほとんど意味がないと考えていても、それはその人が分かる範囲でこのように判断した結果であって、この人も気づいていないところで誰かが助けられていることがあるはずです。神様はこのようにして人を用いてくださり必要としてくださいます。
_イエス様の十字架での苦しみと死は今なお誰かを助ける力を発揮しています。そしてこれか生まれてくる人にも発揮するでしょう。確かに今の世界の状況を見ると本当にイエス様があんな惨い死に方をしたのにどれほど人の心に届いているのだろうと考えてしまうかもしれません。
_でもそれは飽くまで、「分かる範囲」でのことなのです。わたしたちは自分が知ることができる事柄だけで自分の人生を計ることはできません。神様はわたしたちに溢れるほどの意味を、わたしたちが生まれ生き続ける必要を与えてくださっています。わたしたちはこのことにより勝ちを与えられています。人生を勝利しています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988