歓迎! 飯田瑞穂教師

C3

2012年06月18日 21:40

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年3か月7日です。

_本日午前11時より鹿児島加治屋町教会を会場に日本基督教団九州教区鹿児島地区教師会が行われました。
_学習会では飯田瑞穂教師に発題をしていただきました。
_飯田瑞穂教師は今年の九州教区総会で准允をお受けになり教会教師となられました。心から歓迎します。

_発題の方はまとめると私の能力不足で十分に果たせないので、私の感想を書かせていただきます。
_瑞穂教師は1986年4月26日(日)チェルノブイリ原子力発電所事故が起こったとき北海道にいらっしゃいました。この事故で放射線の恐怖にさらされている子どもをホームステイで受け入れることでこの問題に関わられました。その後も被災地であるベラルーシーを訪ねておられます。

_チェルノブイリ原子力発電所事故は今から26年前の出来事です。26年前世界は原子力が事故を起こしたときの恐ろしさを知りました。しかし学ぶことは不十分だったようです。26年前、日本政府が決めた食物や飲料の放射線の許容基準は世界の基準と比べえて非常に緩いものでした。わたしたちの国の政府は人々の健康を守るよりも何か他のものを守ろうとしていました。

_今のチェルノブイリは25年後のフクシマなのです。放射線は生まれたばかりのこどもが最も影響を受け高齢になるほどその影響は減少します。ベラルーシーではチェルノブイリ事故当時0歳だったこどもが26歳になっています。ベラルーシーの正常出産率は15%〜20%と言われています。新しい命を授かっても正常に産まれてくるのは4人に1人です。

_一度放射線が漏れてしまうと、できる限り浴びないようにするしかありません。特に幼いことどもはそうです。特に内部被曝しないように食べ物など気をつけなければなりません。

_そしてさらにもう二度と同じ悲劇を繰り返さないために、大切なものの優先順位を皆で考えなければなりません。

_みんなで一緒に考えていきましょう。

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