東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年4か月4日です。
聖霊降臨節第8主日
使徒言行録24章10~21節
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10総督が、発言するように合図したので、パウロは答弁した。「私は、閣下が多年この国民の裁判をつかさどる方であることを、存じ上げておりますので、私自身のことを喜んで弁明いたします。
11確かめていただけば分かることですが、私が礼拝のためエルサレムに上ってから、まだ十二日しかたっていません。
12神殿でも会堂でも町の中でも、この私がだれかと論争したり、群衆を扇動したりするのを、だれも見た者はおりません。
13そして彼らは、私を告発している件に関し、閣下に対して何の証拠も挙げることができません。
14しかしここで、はっきり申し上げます。私は、彼らが『分派』と呼んでいるこの道に従って、先祖の神を礼拝し、また、律法に即したことと預言者の書に書いてあることを、ことごとく信じています。
15更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております。
16こういうわけで私は、神に対しても人に対しても、責められることのない良心を絶えず保つように努めています。
17さて、私は同胞に救援金を渡すため、また、供え物を献げるために、何年ぶりかで戻ってきました。
18私が清めの式にあずかってから、神殿で供え物を献げているところを、人に見られたのですが、別に群衆もいませんし、騒動もありませんでした。
19ただ、アジア州から来た数人のユダヤ人はいました。もし、私を訴えるべき理由があるというのであれば、この人たちこそ閣下のところに出頭して告発すべきだったのです。
20さもなければ、ここにいる人たち自身が、最高法院に出頭していた私にどんな不正を見つけたか、今言うべきです。
21彼らの中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです。」
〈復活の希望〉
_律法で決められた通りに生きようとすることを神様は望んでおられるかどうかをめぐって、パウロさんはユダヤ人の人々に訴えられます。律法を守ることが何より大切だと考えていたのはかつてのパウロさんの姿と同じです。もともと律法を守る習慣がなかったユダヤ人ではない人たちに律法を守らなくても神様にとって律法を守るユダ人と同じだと言い広めるキリストの教会の人たちを迫害してまわっていました。
_律法とは何でしょう。ある人にとっては目に見え人が理解できるものです。人の心の中のように他の人に分からないようなものではなく他人に示せるものです。このように考える人たちは、希望を見えるもの自分が理解できるものに置いていました。パウロさんもそうでした。そして誰よりも律法を守っていると人に言えるほどになっていました。それでもパウロさんはこれで神様から大切に思われ愛されていると感じて安心することができなかったようです。
_律法をめぐり訴えられたパウロさんは、自分が復活を信じていることで訴えられていると言います。訴えるユダヤ人の人たちは復活を信じないグループと信じるグループがあってこう言えば混乱すると考えました。
_あるグループは復活はないと信じました。このグループにはユダヤ社会の中で権力を握る人たちでした。この人たちは力ある外国の勢力に脅かされたときなんとか自分の握っている権力を守ろうと力あるものに取り入りました。律法の教えを曲げても権力を失うよりはましと考え仕方ないことだとしました。そのような人たちにとっては生きている時こそ全てであります。現実の利益を求めて生きる人にとって、復活などあってそこで生きていたときのことを神様の前でどうこうされては困るはずです。
_あるグループは復活はあると信じました。このグループはどんな犠牲を払っても律法を守ることを優先しました。貧しい人たちは生活できなくなっても献げ物をしました。律法を守ろうとしない人たちとは家族であっても関係を絶ちました。たくさんの犠牲を払い律法を守ることに行きました。ですから復活があるから現実の生では良いことがあまりなくてもその時に正しく生きた結果を受け取ることができると考えました。
_かつてのパウロさんは復活があると信じるグループと同じでした。イエス様と出会ってから考え方が全く逆転しました。
_生きている間に力を振るうことも、生きている時にしたことを評価されると期待することも見えること理解できることに希望をおいています。それはプレゼントをもらってそのプレゼントを実際にみて喜ぶことと何か似ています。ある人は高価なプレゼントもらって喜ぶことを期待し、ある人は一所懸命努力したら当然これに見合うものをプレゼントされると期待します。
_イエス様と出会ったパウロさんは、実際にプレゼント見るわけではなく自分の努力の結果を期待するわけではなく、
プレゼントをくださるお方がどれほど自分を大切に思い愛してくださっているかに期待します。
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988