東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年6か月13日です。
2012年9月23日(
日)
聖霊降臨節第18主日
エフェソの信徒への手紙3章14~21節
314こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。
15御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。
16どうか、御父が、その豊かな栄光に従い、その霊により、力を持ってあなたがたの内なる人を強めて、
17信仰によってあなたがたの心の中にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように、
18また、あなたがたがすべての聖なる者たちとともに、キリストの愛の広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解し、
19人の知識をはるかに超えるこの愛を知るようになり、そしてついには、神の満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、それによって満たされるように。
_
20わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に、
21教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
〈キリストの住まい〉
_「心の中にキリストを住まわせ」ることができる人はさぞ立派な人でしょう。たとえばこのような心を家に例えるならば丈夫で見栄えもよく住みやすく日差しや風が適度に入り快適に違いないでしょう。
_またキリストが住んでくださっているならばますます家は立派に整えられることでしょう。
_聖書には「人の知識をはるかに超える」と書かれています。これは人の思うことを超えているけれどもその延長線上にあるということではないでしょう。このぐらいだと思っていたけれどもっと凄かったっと思うようなことではなく、こんな風になるなんて思いもつかなかったっと思うようなことです。そして、そのことをわたしたちが受け止めるとき、これは恵みなのだろうかと不思議に思うこともあるかもしれません。それほどわたしたちの思いを飛び越えているわけです。
_わたしたちが良いと思うことは、見た目であったりある基準で計れるものです。
_神様のなさることは目に見えるところだけを見ても分かりません。何かの基準で測った数値を比べてもわかりません。むしろ目にはうつらないもの、基準にあてはめられないところにあります。
_見た目や数値で推し量るのなら、美しくて恰好よく値段が高い家を皆が良いと考えるでしょう。でも思い出や思い入れのあるなしで言えば、ある人にとっては何物にもかえられないと言えます。それが他の人にとっては頼まれたってお金をもらったとしても住みたくないと思えるような家であってもです。
_わたしは主キリストが住んでくださるような家ではありません。でもそれはわたしが判断するところでそうであるに過ぎません。もし神様がだれ一人当の本人ですらそう思ってなくても主キリストが住むにふさわしい家だと言ってくださるのなら信じたいと思います。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988