東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年6か月27日です。
2012年10月7日(
日)
聖霊降臨節第20主日
世界聖餐日/世界宣教の日
コリントの手紙二5章1〜10節
51わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。
2わたしたちは、天から与えられる住みかを上に着たいと切に願って、この地上の幕屋にあって苦しみもだえています。
3それを脱いでも、わたしたちは裸のままではおりません。
4この幕屋に住むわたしたちは重荷を負ってうめいておりますが、それは、地上の住みかを脱ぎ捨てたいからではありません。死ぬはずのものが命に飲み込まれてしまうために、天から与えられる住みかを上に着たいからです。
5わたしたちを、このようになるのにふさわしい者としてくださったのは、神です。神は、その保証として〝霊〟を与えてくださったのです。
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6それで、わたしたちはいつも心強いのですが、体を住みかとしているかぎり、主から離れていることも知っています。
7目に見えるものによらず、信仰によって歩んでいるからです。
8わたしたちは、心強い。そして、体を離れて、主のもとに住むことをむしろ望んでいます。
9だから、体を住みかとしていても、体を離れているにしても、ひたすら主に喜ばれるものでありたい。
10なぜなら、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。
〈永遠の住み家〉
_パウロさんという人はイエスさまと出会って、神様が自分のことを愛してくださっていると確信することができました。自分も神様のことを愛していると確信できました。それまではもっと努力しないと駄目だと思っていたのにです。
_それでパウロさんはもう生きて自分のためにこれ以上欲しいものはないと思われたのでしょうか、今すぐにでも死んでもかまわない、いやむしろそれを望むとさせ言われています。
_コリントの教会の人々は以前のパウロさんのようにより有効な生き方を探し求めました。神様により愛され、より愛するためにです。その結果、考えの違いからいがみ合ったり困っている人を思いやる気持ちを失っていました。
_永遠の住み家は神様と共に暮らすところです。神様を採点し裁くお方と考えるか、許し受け止めてくださるお方と考えるかでその場所はずいぶんと違ってきます。
_乱暴な解釈ですが地上の幕屋は結果が求められる世界と仮定します。するとどんなに努力しても強く願っても結果が出ないこともあります。結果を出すことを考えるあまりに大切な願いを捨てて結果の出る願いを優先してしまうことがあるかもしれません。
_わたしたちが地上の幕屋に住み続けるならば結果を出すことが重要であるでしょう。でもやがて永遠の住み家へと移り住むのであればわたしたちの抱く願いは神様が受け取ってくださることになります。神様が結果を出してくださります。ならばわたしたちはより大切な願いを持ち続けることが、もちろん結果が人の目には出そうに思えなくても、生きる上で心を傾けることであるはずです。
_神様が御覧になられるのは結果ではなく、神様がおられることを信じそこに希望をおいて持ち続けた願いです。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988