待降節〈旧約における神の言〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年8か月28日です。
2012年12月9日(
日)
待降節第2主日
イザヤ書59章12〜20節
59
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12御前に、わたしたちの背きの罪は重く
_わたしたち自身の罪が不利な証言をする。
_背きの罪はわたしたちと共にあり
_わたしたちは自分の咎を知っている。
13主に対して偽り背き
_わたしたちの神から離れ去り
_虐げと裏切りを謀り
_偽りの言葉を心に抱き、また、つぶやく。
14こうして、正義は退き、恵みの業は遠くに立つ。
_まことは広場でよろめき
_正しいことは通ることもできない。
15まことは失われ、悪を避ける者も奪い去られる。
_主は正義の行われていないことを見られた。
_それは主の御目に悪と映った。
16主は人一人いないのを見
_執り成す人がいないのを驚かれた。
_主の救いは主の御腕により
_主を支えるのは種の恵みの御業。
17主は恵みの御業を鎧としてまとい
_救いの兜としてかぶり、報復を衣としてまとい
_熱情を上着として見を包まれた。
18主は人の技に従って報い
_刃向かう者の仇に仇に憤りを表し
_敵に報い、島々に報いを返される。
19西では主の御名を畏れ
_東では主の栄光を畏れる。
_主は激しい流れのように臨み
_主の霊がその上を吹く。
20主は贖う者として、シオンに来られる。
_ヤコブのうちの罪を悔いる者のもとに来ると
_主は言われる。
〈旧約における神の言〉
本日の聖句に記されている時代のイスラエルの民は、かつての失敗を反省していました。
イスラエル王国はすぐに南北に分裂し、北王国は滅び、南王国も指導者が外国に連れて行かれてしまい国土は荒れ果ててしまいました。
ところが連れて行かれていた人たちがエルサレムに帰ることができるようになったのです。イスラエルの人たちは今までうまく行かなかったのは神様のことを忘れ神様からいただいた教えを守らなかったからだと考え反省し改めます。
神様を生活の第一として教えを守る生活を始めます。ところがそれでもうまく行きません。
預言者は神様が正義がないことを指摘されます。確かに神様を第一とし教えを守る生活をしています。しかしその一方で隣人を憎んだり雇人をこき使い貧しい人が近くにいても助けることをしません。このような生き方を神様は喜ばれるはずがありません。
「主は贖う者として、シオンに来られる」(20節)と預言者は伝えます。「贖う」は捕虜や奴隷をお金を支払い自由にする意味があります。主が来られるとき、まずは虐げられている人々が当然守られるべき人としての尊厳を取り戻されます。イスラエルの民は正義を行なわず罪に捕らわれていました。自分の罪を認めなければ罪はいつまでも残ります。認めていても赦されていると思えないならやはり残るでしょう。主は罪から逃れられずいた人たちを罪から解放されます。
イエス・キリストは世に人として生まれてくださいました。これは「贖い」の灯です。ロウソクはこの世の不正義とわたしたちの罪です。灯火が照らされ広がっていくことで不正義や罪が短くなっていきます。
わたしたちは素晴らしいところにこそ主の灯火がともされると考えるかもしれません。
でも実はこの灯火は世にはびこる不正義と人にからみつく罪にともされるからこそ希望の光りとなります。聖書は初めから終わりまでそのことを示しています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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