東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年11か月6日です。
2013年2月17日(日)
受難節第1主日
マタイによる福音書4章1~11節
41さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、〝霊〟に導かれて荒れ野に行かれた。
2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。
3すると、誘惑する者が来て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
4イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」
5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
『神があなたのために天使たちに命じると、
あなたの足が石に打ち当たることのないように、
天使たちは手であなたを支える。』
と書いてある。
7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」と言われた。
8更に、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、
9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。
10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。
『あなたの神である主を拝み、
ただ主に仕えよ」
と書いてある。
11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
〈荒れ野の誘惑〉
イエスさまは悪魔から受けた三つの場面が書かれています。
これはイエス様の宣教がどんなものであるかを示しています。
飢えている人にパンを与えることは素晴らしいことです。危険に晒されている人に守られていることを教えてあげることもそうです。人を助けるだけの力を手に入れることも悪いことではありません。
実際イエス様は話しを聞きに来た群衆が空腹のまま帰っていくのを気の毒に思い奇跡によって食べ物を分け与えられています。船旅の途中嵐を恐れる弟子たちのために嵐を沈められます。また罪を許すことが出来る力を持っているとも言われています。私たちは聖書に書かれているイエス様と人々の出会いから教えられます。
しかしイエス様は聖書に書かれていないイエス様と出会っていない人たちのことも心に留められていました。空腹のままイエス様出会うことなく飢えていく人もいたでしょう。自分は神様からゆるされることのない罪人であると思いイエス様に出会うことなくその思いを抱え生涯を閉じた人もいたはずです。罪のために石で撃ち殺されそうになったときにイエス様に出会わずにそのまま撃ち殺された人も、病気を抱え苦しんでいる人がやはりイエス様に出会わずに希望を持つこともなく病に蝕まれていくことも。
イエス様に悪魔は、飢えにはパンが必要だと、危険には安全の保障を、正義には力が、それぞれ必要だと示し、神の子であるならこれらのものは簡単に手に入るだろうと言います。
イエス様は、パンだけではなく神さまの言葉が、安全の保障ではなく神様を試したりしない生き方を、力ではなく神様を礼拝し仕えることが必要だと言って悪魔を退けられます。その選ばれた道は十字架の死へと続いていきます。
私たちはパンを与え、安全を確保し、力を振るうことも必要ですが、それを成し得なければ人は生きていく意味がないと断じてしまえば、たくさんの人の生を切り捨ててしまうことにもなります。
イエス様は出会って手を伸ばすことが出来た人だけでなく、そうでない人の生も神様は大切にされたと示されています。十字架に架けられ殺される方が神の子であるのと同じようにです。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988