東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
1年11か月20日です。
2013年3月3日(日)
受難節第3主日
マタイによる福音書16章13~28節
1613イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになった。
14弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」
15イエスが言われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。
16シモン・ペトロが、「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えた。
17すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。
18わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。
19わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」
20それから、イエスは、御自分がメシアであることをだれにも話さないように、と弟子たちに命じられた。
21このときから、イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。
22すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」
23イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ、あなたは私の邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」
24それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
25自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。
26人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
27人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
28はっきり言っておく。ここに一緒にいる人々の中には、人の子がその国と共に来るのを見るまでは、決して死なない者がいる。」
〈受難の予告〉
イエス様は自分が何者と言われているか弟子たちに尋ねられます。弟子たちは耳にしたことをイエス様に伝えます。次にイエス様は弟子たち自身はどう言うのかと尋ねられます。
イエス様は何者なのかはたいへん大きな問題です。いきなり尋ねられても困ると思います。たとえ自分の考えを持っていても人の前で言ってしまうと、どのような反応をされるか心配で黙ってしまうかもしれません。ところがペトロさんはそうではありませんでした。こどものような姿で無邪気に自分の考えを人前で堂々と答えています。イエス様はペトロさんのこのような姿にたいへん満足され神さまに感謝されました。
イエス様は次にこれから自分が迫害され捉えられ苦しんで十字架にかかって殺され三日目に復活することを弟子たちに伝えられます。そうするとやはりペトロさんは自分の考えをイエス様に伝えます。しかしこのときは、イエス様をわきへ連れていき人に聞かれるのを嫌がってこっそりと伝えます。イエス様はペトロさんのこのような姿に怒りを覚えられます。
イエス様は神さまがわたしたちを愛していることを人前ではっきりと言われます。誰かが聞いていることなど関係ありません。ここにイエス様が受難を受けなければならないこととわたしたちに恵みが与えられていることが示されています。イエス様は人が神さまとともに感謝して歩むことをどれほど大切にしておられることでしょう。たとえどのような困難が待っていようともはっきりと言われます。
イエス様にとって、人を救うメシアであることと困難に向かって進んでいくことは同じでした。ペトロさんがどうしてこっそりとイエス様の考えを打ち消そうとしたのかは想像するしかありません。しかし本当に神様を思って言うのであれば堂々と言えばよかったのではないかと思います。そう、あなたが人のために苦しむましてや殺されるなんてそんなことはありません、と叫べばよかったのです。他人を遠ざけてしまうところにサタンはひそんでいます。
でもイエス様はそれぞれの十字架を負ってついて来なさいと言われます。もちろんペトロさんにもです。受難は恐ろしいことであり悲しいことです。しかし受難はそれを身に受けてもよいと思えるほど大切なことがあるとの知らせでもあります。イエス様とともに生きることは困難がついてまわります。困難があるとはっきりと分かっていてもそれ以上の恵みが約束されています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
本日は役員会がありました。
礼拝が終わる時間が遅いとの指摘がありました。以前も指摘していただいていて気に留めていたのですがなかなかスッキリと話すことができないでいました。10時半に礼拝が始まり45分ぐらいから説教が始まり大体11時20分くらいで終わってお祈りです。司会者の方と代わるのは25分くらいになっていまします。
今日は聖餐の執行もあり終わるのが11時50分くらいになってしまいました。(-_-;)
礼拝の時間を短くするのはつまりは説教を短くすると良いわけです。礼拝の後の交わりも大切なので次は説教10分くらいを目指して原稿を作って要望に応えようと思いました。短すぎるとの意見があれば少しずついいところを探っていこうかと思います。同時に説教中心の礼拝から式文を意識した礼拝も時々取り入れることを提案しようと思っています。