東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年13日です。
2013年3月24日(日)
棕梠の主日
マタイによる福音書27章32~56節
2732兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。
33そして、ゴルゴタというところ、すなわち「されこうべの場所」に着くと、
34苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。
35彼はイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分けあい、
36そこに座って見張りをしていた。
37イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。
38折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右にもう一人は左に、十字架につけられていた。
39そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスをののしって、
40言った。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い。」
41同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。
42他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。
43神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
44一緒に十字架につけられた強盗たちも、同じようにイエスをののしった。
45さて、昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。
46三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。
47そこに居合わせた人々のうちには、これを聞いて、「この人はエリヤを呼んでいる」と言う者もいた。
48そのうちの一人が、すぐに走り寄り、海綿を取って酸いぶどう酒を含ませ、葦の棒に付けて、イエスに飲ませようとした。
49ほかの人々は、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」と言った。
50しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。
51そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、
52墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。
53そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
54百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、地震やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「本当に、この人は神の子だった」と言った。
55またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。この婦人たちは、ガリラヤからイエスに従ってきて世話をしていた人々である。
56その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。
〈十字架への道〉
イエス様が十字架にかかられて苦しんでおられるときに最も側近くにいたのは同じように十字架にかけられた罪人二人です。その他に祭司長、律法学者、長老たちもいました。通りががってだけの人もいます。その殆どの人がイエス様を侮辱しています。人を侮辱したり攻めたりするのに、一方的な状況ですることは卑怯なことです。イエス様が最も苦しいとき近くにいたのは自分を憎み馬鹿にしていてなお卑劣な者たちでした。
イエス様に使えていて人たちは遠く離れて見守るか自分が危険な目に合うことを恐れて隠れていました。
イエス様は侮辱の言葉を受けましたが「他人は救ったのに、自分は救えない」と言われます。これは言った本人は侮辱の言葉として言い放ちましたがこれは信仰告白としても受け取れます。イエス様は
自分を救えなくても他人を救うお方であると告白しています。他人を救うことよりも自分を救うことを考える人が信仰深いと言えるでしょうか。
「神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」とも侮辱を受けられます。イエス様は
神の子であるからこそ、自分の救いよりも隣人の救いを神さまの御心としてしてくださいました。
私たちも自分を救えなくても隣人を救おうと願う信仰が与えられています。私たちは主イエス・キリストが救ってくださっています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988