東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年1か月24日です。
2013年5月5日(日)
復活節第6主日
マタイによる福音書6章1〜15節
61「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
2だから、あなたは施しをするときには、偽善者たちが人からほめられようと会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。はっきりあなたがたに言っておく。彼らは既に報いを受けている。
3施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
4あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」
5「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
6だから、あなたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。
7また、あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。異邦人は、言葉数が多ければ、聞き入れられると思い込んでいる。
8彼らのまねをしてはならない。あなたがたの父は、願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。
9だから、こう祈りなさい。。
『天におられるわたしたちの父よ。
御名が崇められますように。
10御国が来ますように。
御心が行われますように、
天におけるように地の上にも。
11わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
12わたしたちの負い目を赦してください。
わたしたちも自分に負い目のある人を
赦しましたように。
13わたしたちを誘惑に遭わせず、
悪いものから救ってください。』
14もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。
15しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。」
〈父への道〉
人に見られることなく祈ることが勧められています。人目を気にして祈ることよりも神様が聞いていてくださることが大切ということでしょう。そしてこのことは当たり前だと思っていても実行するとなると難しいことです。
神様が聞いてくださることを大切にすることは二つのことが言えると思います。一つは祈りは与えられるもので恵みであることです。わたしたちが祈るから何か恵みが与えられるのではなく、祈ることは神様から恵みとして与えられているもので決して何かの手段ではありません。
もう一つは、神様だけが聞いてくださることとは、言い換えれば人には言えない知られたくないことも含まれます。わたしたちの弱いところや醜い自分勝手なところから神様は祈りをおこしてくださいます。
イエス様が教えてくださった祈りには「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」という一節があります。この祈りをわたしたちは誠実に祈ることができるでしょうか。今日生きることができる食べ物を与えてほしいと切実に願っていなければ、気持ちを込めて祈ることなどできません。この祈りを本当に切実に心を込めて祈ることが出来る人は、今日を生きるだけの食べ物が与えられるかどうか分からない人たちです。そうではない人たちは傲慢な気持ちであたかも心から祈っているような気分になってこの言葉を口にするか、気持ちを込めずに上っ面だけで祈る他ありません。
それでもイエス様はこう祈れと勧めてくださいます。誰も聞いていないところでただ神さまに、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」と祈ることは傲慢であるかあるいは不誠実なことかもしれません。それなのにこの祈りを本来ふさわしく祈れる方たちと心を合わせて祈れるならなんと大きな恵みでしょうか。そして困難な中を生きる人がいるにもかかわらず取り敢えず今日を無事生きようとするわたしたちの弱さを神さまは用いようとしてくださいます。
このような祈りを与えられることで痛みも受けます。この痛みさえもイエス様が受けてくださった大きな痛みとつながる恵みです。
わたしたちは痛みと恵みを与えられることに感謝し「必要なものが今日与えられることを、すべての人たちに与えられますように」と祈りつつ歩んでいきましょう。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988