QRコード
QRCODE
※カテゴリー別のRSSです
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 4人
プロフィール
C3

スポンサーサイト

上記の広告は90日以上記事の更新がないブログに表示されます。新しい記事を書くことで、こちらの広告が消せます。

  

Posted by チェスト at

2011年05月12日

聖書を学び祈る会。ヨハネの福音書四章一〜二十六節

東日本大震災発生
二千十一年三月十一日(金)から
二ヵ月一日です。


五月十一日(水)

ヨハネによる福音書四章一〜二十六節
_1さて、イエスがヨハネよりも多くの弟子をつくり、洗礼を授けておられるということが、ファリサイ派の人々の耳に入った。イエスはそれを知ると、2ーー洗礼を授けていたのは、イエス御自身ではなく、弟子たちであるーー3ユダヤを去り、再びガリラヤへ行かれた。4しかし、サマリアを通らねばならなかった。5それで、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。6そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸の側に座っておられた。正午のことである。
_7サマリアの女が水をくみに来た。イエスは、「水を飲ませてください」と言われた。8弟子たちは食べ物を買うために町に行っていた。9すると、サマリアの女は、「ユダヤ人であるあなたがサマリアの女のわたしにどうして水を飲ませてほしいと頼むのですか」と言った。ユダヤ人はサマリア人とは交際しないからである。10イエスは答えて言われた。「もしあなたが、神の賜物を知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれである知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう。11女は言った。「主よ、あなたはくむ物をお持ちでないし、井戸は深いのです。どこからその生きた水を手にお入れになるのですか。12あなたは、わたしたちの父ヤコブよりも偉いのですか。ヤコブがこの井戸をわたしたちに与え、彼自身も、その子供や家畜も、この井戸から飲んだのです。」13イエスは答えていわれた。「この水を飲む者はだれでもまた渇く。14しかし、わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちに至る水がわき出る。」15女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」
 16イエスが、「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と言われると、17女は答えて、「わたしには夫はいません」と言った。イエスは言われた。「『夫はいません』とは、まさにそのとおりだ。18あなたには五人の夫がいたが、今連れ添っているのは夫ではない。あなたは、ありのままを言ったわけだ。」19女は言った。「主よ、あなたは預言者だとお見受けします。20わたしどもの先祖はこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムにあると言っています。21イエスは言われた。「婦人よ。わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。22あなたがたは知らないものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」25女は言った。「わたしは、キリストと呼ばれるメシアが来られることは知っています。その方が来られるとき、わたしたちは一切のことを知らせてくださいます。」26イエスは言われた。「それは、あなたと話しているこのわたしである。」

感想
あはっサマリアの女性は井戸に来るのに人目を避けて正午に来たと聞いている。五人もの夫がいたことも理由になのだろう。人と出会いたくないと思っている女性がイエス様と出会って声を掛けていただけるのも何か偶然ではなく導きがあるのだと思う。

 この日は東日本大震災で被災された皆様を覚えて、特に別府教会でわずかな休息を取られておられる宮古教会の森分和基牧師を覚えてお祈りしました。

 神様の慰めと支えが力強くありますことを信じお祈り致します頼む

 奥羽教区のブログに宮古教会の様子が紹介されています。和基牧師のお姉さんの望牧師は私の大学神学部の十五人しかいない大切な同級生の一人です。


聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
  


Posted by C3 at 22:53Comments(0)聖書を学び祈る会

2011年04月28日

聖書を学び祈る会。エフェソの信徒への手紙二章一〜十。

東日本大震災発生
二千十一年三月十一日(金)から
一ヵ月十七日です。


四月二十七日(水)。

エフェソの信徒への手紙二章一〜十。
 1さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。2この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。3わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、他の人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。4しかし、憐れみ豊かな神は、わたしたちをこの上なく愛してくださり、その愛によって、5罪のために死んでいたわたしたちをキリストと共に活かし、——あなたがたの救われたのは恵みによるのです——6キリスト・イエスによって共に復活させ、共に天の王座に着かせてくださいました。7こうして、神は、キリスト・イエスにおいてわたしたちにお示しになった慈しみにより、その限りなく豊かな恵みを、来るべき世に現そうとされたのです。8事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。9行いによるのではありません。それは、だれも誇ることのないためなのです。10なぜなら、わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られたからです。わたしたちは、その善い業を行って歩むのです。


感想。
 いつものとおり讃美歌を歌い聖書を読み信徒の友「日毎の糧」二十七日の箇所を読み感想を言い合って祈りました頼む。讃美歌は五百三十二番を賛美しました音符

あはっ 何もしなかったのに救いを得たと感じています。聖書に書いてあるとおりに昔は悪いこともしていたけれども今は落ち着いて過ごしています。

あはっ 救われるということが具体的にイメージできず分かりません。インマヌエル(神が共にいます)が救いなのかなと思うことはあります。救いは目に見えないものなので分からず戸惑うこともあります。

あはっ 高校一年生に受洗しました。そのときはよく分からずに受けたように思います。信仰が継承されていくことに導きを感じます。

あはっ 教会に行き始めて洗礼を受けるまでにかなり時間が掛かった。それが突然受ける決心をしました。長老の方たちが驚かれたほどです。受洗準備会のときに強い決心でないのでずっと神様が捉えてくださることを祈りました。
 炭火を起こすときには火種を大きな火にしていきます。火種があれば火をおこすことができるように小さなものだとしても信仰の火種を消さないように歩んでいきたいです。

あはっ キリスト教の弾圧時代のことを思います。


 私はお話しを伺うことの良さを改めて感じています。



聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
  


Posted by C3 at 06:12Comments(0)聖書を学び祈る会

2011年04月21日

聖書を学び祈る会。ヘブライ人の手紙九章二十三〜二十八節。

東日本大震災発生
〔二千十一年三月十一日(金)〕
から一ヵ月十日です。


四月二十一日(木)。

ヘブライ人の手紙九章二十三〜二十八節。
 23このように、天にあるものの写しは、これからのものによって清められねばならないのですが、天にあるもの自体は、これらよりもまさったいけにえによって、清められねばなりません。24なぜならキリストは、まことのものの写しにすぎない、人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神のみ前に現れてくださったからです。25また、キリストがそうなったのは、大祭司が年ごとに自分のものでない血を携えて聖所に入るように、度々御自身をお献げになるためではありません。26もしそうだとすれば、天地創造の時から度々苦しまねばならなかったはずです。ところが実際は、世の終わりにただ一度、ご自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。27また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、28キリストも、多くの人の罪を負うためではなく、御自分を待望している人たちに、救いをもたらすために現れてくださるのです。

***************************
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
***************************


 今週は受難週と言ってイエス様が十字架に掛かり殺されてしまった日を覚える週です。明日がイエス様が殺された金曜日を覚える受難日です。

 そして今日はイエス様がお弟子さんたちの足を洗って手本となられた日を覚える洗足木曜日と言います。指宿教会では毎年いつもは水曜日ですが受難週は水曜日ではなくて洗足木曜日に最初を学び祈る会をしています。

 皆さん信徒の友の日毎の糧に導かれて自由に感想を言っていただきました。

==========

 牧師先生に実際足を洗ってもらうことになると抵抗があります。

 キリスト者だから真面目だと思われるのはプレッシャーに感じます。

 死ぬことはそれほど納得のいかないことではないが裁きを受けるというのは戸惑いがあります。かといって裁きがなくて悪いことをした人もそうでない人も同じなのも違和感を覚えます。
==========


 皆さんのご意見を聞くといろいろ参考になりますグッ。  


Posted by C3 at 18:36Comments(0)聖書を学び祈る会

2011年04月14日

聖書を学び祈る会。ヤコブの手紙3章13〜18節。

*********************************
東日本大震災発生〔二千十一年三月十一日(金)〕から1ヵ月三日です。
*********************************



ヤコブの手紙3章13〜18節
 13あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。14しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなあ、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。15そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。16ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。17上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。18義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。



 先週の反省もあり私はできるだけ喋りを抑えました。

 「上から出た知恵」が感じられるのは一番嬉しい瞬間かなって思ったので皆さんに聞いてみました。

 お孫さんと会うとき、という意見があったり歳をとって楽しみや感動することがなくなってきたと言う方も…困ったな

 外国が多くの人が来て教会の場所を訪ねられたらって意見も。そして菜の花マラソンンの黄色いジャンバーを来ていると皆が挨拶をしてくれるとか、高齢者施設の仕事で重度の方に接したときに衝撃を受けそのときに神様が共におられることが慰めになったなどなどです。

 まとめるとあまりよく分かりませんねげんなり。うまくまとめるよう次回は頑張ります。


 私は歳とったってとったからこその楽しみはあるはずなんで、教会でたのしんでもらいなと強く強く願いました。

*******************
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
*******************
  


Posted by C3 at 23:11Comments(0)聖書を学び祈る会

2011年04月06日

聖書を学び祈る会。ヤコブの手紙一章九〜十一節。

ヤコブの手紙一章九〜十一節。
 9貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。10また富んでいる者は、自分が低くされていることを誇りに思いなさい。富んでいる者は、草花のように滅び去るからです。11日が昇り熱風が吹き付けると、草は枯れ、花は散り、その美しさは失せてしまいます。同じように、富んでいる者も、人生の半ばで消えうせるのです。


 午後一時より。

 今年度初めてまた私が指宿教会に着任後初めての聖書を学び祈る会です。

 この会では礼拝式は私はたくさん話しますので参加の皆さまのお話しを少しずつ聞いて共感したり違いを受け入れ合うときにしたいと思っています。

 が、初回力が入り私喋りまくりでしたげんなり。次週は気をつけます。

 ヤコブの手紙ではやはり、格差社会、社会悪、または助けを求めている人たちへ関心を向けることが話のテーマになっていたと思います。また行いを大切することはやはり社会へ向けても教会内でも見える形での奉仕は必要だと感じるとのご発言もありました。

 聖句とは少し離れますが原発の問題などは便利さを追求することをそれで良いのかと考えることも必要かとのご発言もありました。

 私の発言は反省と共にここでは割愛です。

 ここでは、いろいろな意見をどれが正しいかではなくいろんな意見を持ちながらもイエス様の導きを信じ受け入れ合うことを意識できればよいなと願っています。

 神様の導きを信じてこれからの聖書を学び祈る会を楽しみにしていきたいです。

***************************************************
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
***************************************************  


Posted by C3 at 19:12Comments(0)聖書を学び祈る会