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Posted by チェスト at

2013年09月01日

聖霊降臨節第16主日〈教会の一致と交わり〉

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年5か月21日です。
2013年9月1日(
聖霊降臨節第16主日
コリントの信徒への手紙一1章10〜17節

〈教会の一致と交わり〉
 一致と言われる場合、どの程度一致しているかが注目されることが多いです。コリントの教会の信仰者たちはあまり一致していなかったようです。いくつかのグループができてそのグループの間に不一致があり対立がありました。この場合、一致していないことが問題なのでしょうか。むしろ不一致があることよりも対立があることが問題ではないでしょうか。
 そうすると一致は、どの程度一致しているかよりも、どこが一致しているかがより重要です。不一致が多くあっても、これさえ一致していれば問題ではないと考えられるようなところがあるはずです。
 祈りの最後にアーメン(同意します)と皆で唱えます。これも祈られる内容一つ一つに同意をしているわけではなく、主の名によって祈られることに同意していると信じます。内容に同意できないことがあっても祈る人が主の名によって祈っているのなら、例え同意できない内容であっても主の働きを信じて同意することができます。
 パウロさんは、言葉の知恵で福音を語ることはキリストの十字架をむなしいものにする、と考えています。誰かの罪を身代わりに背負う行為が正しいかどうかと議論すれば、いろいろな意見が出てくることでしょう。しかし誰かではなくすべての人のゆるしが願われているならば、それを必要とするすべての人はゆるされるべきだという願いは、持つべき価値のあるものです。そして願いはその人の命を輝かすでしょう。もちろん人である限りゆるせないゆるしたくないと思うこともあるでしょう。このような思いを抱えていても願いを持つことはできます。
 コリントの教会の信仰者は優れたところを示しあっていたことでしょう。そして自分たちのグループこそが最も優れていると満足していたでしょう。これこそ主の十字架をむなしいものにすることです。ゆるしが与えられるのは罪人です。
 わたしたちは罪人です。そしてキリストの十字架によってゆるしを与えられています。わたしたちはキリストの十字架のゆるしを宣べ伝えすべての人がゆるされる願いを持っています。ここにこそ一致があり主にある交わりがあります。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
  


Posted by C3 at 17:52Comments(0)礼拝式報告