2011年11月30日
九州教区教師研修会その一
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
8か月19日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
8か月19日です。
_11月28日(月)・29日(火)九州教区教師研修会が亀の井ホテル別府店を会場に開催されました。私は久し振りに九州教区の集会に参加させていただきました。
_講師に浜本京子先生(日本バプテスト病院チャプレン/日本基督教団上賀茂教会担任教師)をお迎えしました。
_主題は『チャプレンからみた牧師の病床訪問』~スピリチュアルケアと共感性疲労~です。
_私の主観的な受け止めですがご報告して分かち合えればと思います。
講演1「病を持っている人への援助~病院チャプレンの視点から」
_チャプレンの働きとはその人がその人らしく生きることができるこころへの援助です。患者さんは「ノー」と言える機会がほとんどありません。治療をします、検査をします等、言われるままに受けるしか選択肢がありません。
_チャプレンは患者さんが「ノー」と言えるスタッフです。訪問してもいいですか、と問われたときに、いやいらない、今は必要ないからあとでもう一度訪ねてほしい、など自分の意思を伝えられそれが尊重される、こういう存在自体が患者さんにとって必要なケアになっています。
_病院は身体的・精神的・社会的と三側面のケアをします。病気や痛みに対して治療をします。イライラしたり気分が沈むときはケアーをします。経済的なあるいは復帰などの不安はソーシャルワーカーが相談に乗ります。
_この三つに加えてスピリチュアル(霊的、魂)なケアー、病気になることや入院生活をすることにより、生きている意味を問い始めたり、過去の出来事を悔いたり、今の自分のままでこれからも良いのかと思い悩んだり、健康なときに気にならなかった事柄が頭から離れなくなる場合があります。このような魂の飢え渇きと言える状況に寄り添うケアーも大切です。
_このようなケアーはゆっくりとしたペースで決して急ぎません。患者さんの意思を尊重し自分の意思を押し付けません。また、辛いでしょう、と気持ちを代弁することはせず、私だったら辛いですけれどどうでですか等、「私」を主語にして相手の気持ちを自分が推し量り代弁しません。また医療・治療のアドバイスはもちろん励まさない、教えない、諭しません。患者さんは十分に頑張り考え悩んでいるからです。
_宗教者は病院職員が難しい、患者さんが自身の存在そのものを問い続けることに寄り添うことができます。ある患者さんは誰にも言えないことを宗教者に打ち明けます。人である宗教者ではなく信じることで背後におられる神様に(あるいはそのように思われる存在に)打ち明けているのです。引っかかりを覚え悔いたり思い悩み抱えてきたものを人生の歩みの中で解消し終えたいと人は思うのかもしれません。抱えていたものを下ろすと安らぎを得て体の痛みさえ和らぐこともあります。
_人は自分の命が脅かされたとき自分の存在そのものについて考えます。魂が語り出します。少しずつ少しずつです。この声に耳を傾ける存在があることが人には必要だと思わされました。
Posted by C3 at 18:11│Comments(0)
│牧師日誌
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。