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C3

2011年11月30日

九州教区教師研修会 その三

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
8か月19日です。

「東日本大震災、その時、その後」
_高田恵継先生(日本基督教団仙台川平教会主任担任教師/東北教区被災者支援センター委員長)より報告をしていただきました。

_スライド用いて震災直後、その後の様子を伺いました。

_身近に起こった死。長く連絡が取れずにいた方とようやく連絡が取れ無事であることを喜ぶとその方は家族を失わわれ火葬場から連絡していると…。知り合いの女性は津波が押し寄せるなか必死に柱にすがりつき赤ちゃんを腕にだき耐えて何とか生き延びたが腕に抱いた赤ちゃんは亡くなっておられた…。先生には身近なところに死を体験された方をもっておられます。スライドで津波の動画を観せていただいているとき近くにおられた先生から「うぅぅぅっ」と声にならない呻きが聞こえてきました。津波の映像は先生にとり具体的に身近にあった命が押し流されている光景であることをひしひしと感じました。

_東北教区で被災者支援活動が始まったのは二日後の13日(日)夜に兵庫から新潟から交通が機能しない状況から支援者きたことからです。阪神淡路大震災、中越地震を経験した所からいち早く動きがありました。被災者支援センターが立ち上がります。活動についてはブログに掲載されてありますので是非そちらをご覧ください。

_先生のお話を聞いて涙が出てきました。もちろん被害の悲惨さもありますが、兎に角必死に懸命に支え合い生きようとする人の姿に触れたからです。

_活動の中で寄り添うことを大切にしておられます。半日掛かりで瓦礫を別な場所に移動した午後に重機がきてあっという間に持ち去って行くのを見たそうです。効率は良くなくゆっくりとしたペースではありながら一人一人が一人一人と出会い寄り添い必要に応えていかれます。最初、自転車で移動していて道路が整備された今も基本移動は自転車でされいるそうです。被害を受けられた方が初めて会う人を受け入れるのは、その人が労して仕えようとする姿勢が見えることによってです。自転車での移動はその象徴です。

_ものすごく大きな山を目の前にしてどんなに先が見えなくても丁寧にそこにいる一人一人の人と向き合われれている働きはこの先目には見えない大きな成果を生むと信じています。私も関心を寄せ続けていきたいと思いを改めて強くしました。

_ただ福島原発の一般人立ち入り禁止区域は何も手がつけられない状況です。今後いつ手がつけられるかの見通しもありません。区域外も放射線量はとても安心できるようなものではありません。けれどもそこに暮らす人々がいます。

_やれることを精一杯やることしか道は残されていません。そんな中、その道を歩んでおられる人々がおられることに関心を寄せずにはおられません。


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Posted by C3 at 18:13│Comments(0)牧師日誌
 
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