2013年08月11日
聖霊降臨節第13主日〈家 族〉。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年5か月です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年5か月です。
2013年8月11日(日)
聖霊降臨節第13主日
コロサイの信徒への手紙3章18節~4章1節〈家 族〉
妻と夫、子と親、奴隷と主人という関係が書かれています。これら役割は相互に補い合う関係です。妻に対して夫が、子に対して親がいるわけです。妻や子の存在がないなら夫や親という役割も存在できません。そして六種の役割の者にそれぞれ勧めがなされています。妻には夫に仕えるように、夫には妻を愛するように勧められています。この勧めはどのように伝えらたかという場面が重要です。ドラマのワンシーンのように想像してみてください。この勧めが二人を呼び出して伝えられたと想像すれば、たとえば妻は自分への勧めだけではなく夫の勧めも知ることになります。その逆もそうです。
あともう一つ想像してみましょう。それはひとりずつ部屋に呼び出してその人への勧めをその人だけに伝えるとすれば、互いに自分だけの勧めを知っていますが相手がどのように勧められているのかは知りません。この想像は聖書全体をどう受け止めるかにも当てはまる知恵があります。勧めは神さまがある人にその人だけに向けてその人にふさわしく語られる、この状態にまでみ言葉を味わうことがみ言葉に聞くことではないでしょうか。
相手が守るから自分も守るというのでは人と人がかわす約束です。相手がどうであろうと自分は守るというのが神さまとの約束です。相手がどうあろうと一方手に向けられるのが神さまの愛です。
六種の役割が出てきますが、夫と父親と主人が同一人物とすると四人の人が出てきます。この四人に勧めが与えられていますが、どうのように勧められたようにするかのヒントのようなものが書かれています。「主を信じるものにふさわしく」「主に喜ばれる」「主を畏れつつ/主に対してするように」「あなたがたにも主が天におられるのです」等です。
主の家族は相手の出方に左右されるような約束でつながってはいません。相手がどうあろうと主が勧めてくださったから主が私にしてくださったように進めに従い愛することでつながっています。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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2013年08月05日
聖霊降臨節第12主日/平和聖日〈苦難の共同体〉。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月25日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月25日です。
2013年8月4日(日)
聖霊降臨節第12主日
平和聖日
使徒言行録20章17〜35節平和聖日
2017パウロはミレトスからエフェソに人をやって、教会の長老たちを呼び寄せた。18長老たちが集まってきたとき、パウロはこう話した。「アジア州に来た最初の日以来、わたしがあなたがたと共にどのように過ごしてきたかはよくご存じです。19すなわち、自分を全く取るに足りないものと思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身に降りかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。20役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。21神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです。22そして今、わたしは、〝霊〟に促されてエルサレムに行きます。そこでどんなことがこの身に起こるか、何も分かりません。23ただ、投獄と苦難とがわたしを待ち受けているということだけは、聖霊がどこの町でもはっきり告げてくださっています。24しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この生命すら決して惜しいとは思いません。
25そして今、あなたがたが皆もう二度とわたしの顔を見ることがないとわたしには分かっています。わたしは、あなたがたの間を巡回して御国を宣べ伝えたのです。26だから、特に今日はっきり言います。だれの血についても、わたしには責任がありません。27わたしは、神の御計画をすべて、ひるむことなくあなたがたに伝えたからです。28どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。29わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て群れを荒らすことが、わたしには分かっています。30また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます。31だから、わたしが三年間、あなたがた一人一人に夜も昼も涙を流して教えきたことを思い起こして、目を覚ましていなさい。32そして今、神とその恵みの言葉とにあなたがたをゆだねます。この言葉は、あなたがたを造り上げ、聖なる者とされたすべての人々と共に恵みを受け継がせることができるのです。33わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。34ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。35あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
〈苦難の共同体〉
「苦難の共同体」と本日の主日は決められています。皆が苦難を持ち寄って集まってくるなんて何か暗いイメージを持ってしまいます。私は苦難を持ち寄ることは神さまに支えられる明るさがあると信じます。パウロさんはミレトスから船出する前にエフェソに人を使いに出してエフェソの教会指導者何人かをミレトスに呼び寄せます。50キロ程離れているそうですからずいぶんと迷惑な話です。そこまでして伝えたかったことの一つは、パウロさんがエフェソで自分が出来る限りのことをしたからあとは神さまとエフェソの信仰者、特に呼び寄せた指導者に委ねるということです。自分には負うべき責任は何もないというほどやりきったと言い切っています。指導者たちは大きな責任を負わされることになりました。
一方でパウロさんはエフェソの教会に外側からと内側からと乱す者が現れて混乱すると予告しています。責任を追わせながら良い結果にはなりませんよ、と予告することにどのような意味があるのでしょうか。実はここに伝道の大切な点が表されていると思うのです。努力をするのに結果出ない、これはまさに苦難です。報われる努力は苦難とまで言うこともないでしょう。
私たちは生きていく中で、大切なことだからと思い、あるいは神さまの導きを感じるから、心の底から強く願っていることだから、このような理由で何かに取り組みます。しかし目に見えては良い結果を得られない、こんなことがあります。そしてこのようなことが続くのは苦しいです。でも、よく考えると本当に大切だと思えることや、神さまの導きだと感じられること、心の底から願うことが、そうそう簡単に得られることでしょうか。このようなことに出会うことがすでに恵みです。そして神さまはきっと寄り添ってくださっています。せっかくそうそう得られない恵みをいただいたのに、目に見える結果が出ないからと言って捨ててしまうのは残念なことです。
苦難を持ち寄る共同体、それは神様からもらった困難ではあってもすばらしい恵みを持ち寄る共同体です。イエス様も私たちが罪ゆるされて生きることを願われ結果は十字架に釘打たれ殺されました。それでもイエス様は最後まで神様からいただいた恵みをしっかりと持っておられました。
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この日は平和聖日でした。
昨年、一昨年は特に何もできませんでしたが、今年は「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」をし九州教区が送ってくださったリーフレットより交祷を用いることができました。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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2013年08月02日
聖霊降臨節第11主日。鹿児島地区交換講壇。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月22日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月22日です。
2013年7月28日(日)
聖霊降臨節第11主日
コリントの信徒への手紙二4章16〜18節416だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの「外なる人」は衰えていくとしても、わたしたちの「内なる人」は日々新たにされていきます。17わたしたちの一時の軽い艱難は、比べ物にならないほど重みのある永遠の栄光をもたらしてくれます。18わたしたちは見えないものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。
説教 「見えないものに目を注ぐ」 日下部遣志牧師(日本基督教団川内教会)

礼拝後、歓迎愛餐会をしました。

この日は熊本地区交換講壇で川内教会より日下部遣志牧師をお迎えしました。
また川内教会で夏期派遣実習中の柳本伸良神学生が礼拝に参加してくださいました。
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2013年08月01日
鹿児島地区交換講壇。志布志教会礼拝。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月21日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月21日です。
2013年7月28日(日)
聖霊降臨節第11主日
使徒言行録9章26~31節926サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。27しかしバルナバは、サウロを連れて使徒たちのところへ案内し、サウロが旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって大胆に宣教した次第を説明した。28それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった。29また、ギリシア語を話すユダヤ人と語り、議論もしたが、彼らはサウロを殺そうとねらっていた。30それを知った兄弟たちは、サウロを連れてカイサリアに下り、そこからタルソスへ出発させた。
31こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地方で平和を保ち、主を畏れ、聖霊の慰めを受け、基礎が固まって発展し、信者の数が増えていった。
〈宣教への派遣〉
教会がサウロさんを受け入れたあと、教会の基礎が固まったと書いてあります。サウロさんは幻でイエス様に出会うその瞬間まで教会を迫害し続けていました。イエス様に出会ったときも教会を迫害するためにダマスコに向かう途中でした。サウロさんが一番大切にしていたことは神さまと一緒に正しく生きることでした。具体的には聖書に記されている決まり(律法)を守ることです。サウロさんは教会が救い主として言い広めているイエス様を受け入れることができませんでした。イエス様は律法より人が大切だということを忘れてはならないと言われます。サウロさんは律法を守ることが何より大切で、律法にこだわらないことで人を大切にできるなどという発想は許しがたいものでした。
人とは自分が好きなものを同じように好きな人とは気が合います。そうではない人とは気が合わない、こういうことがよくあります。サウロさんにとって教会は、自分が好きなものを大切にしていない人たちの集まりでした。
一方で教会はサウロさんがイエス様に出会ったあと仲間に加わろうとしたときに、信じられずに恐れました。今のサウロさんの気持ちより今までのサウロさんの行動で判断したからです。それでもバルナバさんが熱心にイエス様に出会ったあとのサウロさんの行動を説明し仲間に入ることができました。ここに教会の基礎があります。
平和を保つことは神さまに委ねることです。神さまに委ねることができず自分の考えにこだわると争いがおきます。サウロさんを仲間として受け入れることに賛否両論あったでしょう。最終的には教会の人たちは神さまに委ねました。そう思います。
主を畏れることとは、主の働きが人間の想像できないほどだと信じることです。自分の想像の範囲に神さまの働きを見ている人は畏れの気持ちを持つことは難しいでしょう。あの迫害者サウロがキリストの僕(しもべ)になったなんて考えられない、と思った人は少なくなかったでしょう。それでも神さまにならサウロを導くことができると信じました。
聖霊の慰めを受けるとは、人の慰めを超える慰めです。サウロさんが関わった事件で大切な人を牢獄に連れて行かれたり殺されたりした人は、サウロさんが仲間に加わることは大変な苦痛であったに違いありません。人の言葉ではもはや慰めることはできなかったでしょう。それでも聖霊は慰めを与えてくださる、との信仰がありました。
サウロさんを仲間に加えたことは教会が、神さまに委ね、神さまの働きは想像を超えると信じ、人を超えたお方から慰めがあることを信じた(あるいはこのうようしようとした)ことが教会の基礎を固めたました。そして宣教がいよいよ進んで行きました。
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2013年07月21日
聖霊降臨節第10主日〈憐れみの福音〉。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月10日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月10日です。
2013年7月21日(日)
聖霊降臨節第10主日
コリントの信徒への手紙二5章14節~6章2節514なぜなら、キリストの愛がわたしたちを駆り立てているからです。わたしたちはこう考えます。すなわち、一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人も死んだことになります。15その一人の方はすべての人のために死んでくださった。その目的は、生きている人たちが、もはや自分自身のために生きるのではなく、自分たちのために死んで復活してくださった方のために生きることなのです。
16それで、わたしたちは、今後だれをも肉に従って知ろうとはしません。肉に従ってキリストを知っていたとしても、今はもうそのように知ろうとはしません。17だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。18これらはすべて神から出ることであって、神は、キリストを通してわたしたちを御自分と和解させ、また、和解のために奉仕する任務をわたしたちにお授けになりました。19つまり、神はキリストによって世を御自分と和解させ、人々の罪の責任を問うことなく、和解の言葉をわたしたちにゆだねられたのです。20ですから、神がわたしたちを通して勧めておられるので、わたしたちはキリストの使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神と和解させていただきなさい。21罪と何のかかわりもない方を、神はわたしたちのために罪となさいました。わたしたちはその方によって神の義を得ることができたのです。
61わたしたちはまた、神の協力者としてあなたがたに勧めます。神からいただいた恵みを無駄にしてはいけません。2なぜなら、
「恵みの時に、わたしはあなたの願いを聞き入れた。
救いの日、わたしはあなたを助けた」
と神は言っておられるからです。今や、恵みの時、今こそ、救いの日。
〈憐れみの福音〉
皆のためにイエス様が支払ってくださったから皆は支払わなくて良いです。おごってもらったわけです。支払ってくださったのはお金ではなく痛みです。皆の痛みを一人で背負われたわけですから壮絶な痛みだったでしょう。わたしたちが受けたものはゆるしです。ぜいたくをしたとき、貧困で明日を生きていけるどうかわからない人のことを考えると受けるべき痛み…、自分の良心を裏切ってしまったときに受けるべき痛み…、仲間を裏切ったときの…、自分が弱いと思い知らされたときの…、こんな痛みをイエス様は背負ってくださいました。
私たちはもっともっと痛むべきなのでしょうか。そうではなく痛もうとするのではなく、皆の痛みを背負ってくださったイエス様のために生きることです。イエス様は周辺に追いやられた人、まわりの人から神様から見捨てられた人と言われ自分もそう思っている人たちと友だちになろうとしてくださいました。イエス様は今も誰かの心の中で働いてくださっています。この働きを応援していくことがわたしたちの生きる道です。本来もっと痛みを覚えなければ…、もっと勇気を出して踏み出さないと…、力をたくわえないと…、そんなふうに思って立ち止まる必要はないです。イエス様は安心して一歩を一緒に踏み出そうと言ってくださっています。
憐れみは、激しい痛みを受ける、という意味だそうです。福音はわたしたちが痛むことを必要としているのではなく一歩踏み出することを勧めています。
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2013年07月18日
聖霊降臨節第9主日〈異邦人の救い〉。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月7日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4か月7日です。
2013年7月14日(日)
聖霊降臨節第9主日
ローマの信徒への手紙9章19~28節919ところで、あなたは言うでしょう。「ではなぜ、神はなおも人を責められるのだろうか。だれが神の御心に逆らうことができようか」と。20人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた者が作ったものに、「どうしてわたしをこのように作ったのか」と言えるでしょうか。21焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くない器に造る権限があるのではないか。22神はその怒りを示し、その力を知らせようとしておられたが、怒りの器として滅びることになっていた者たちを寛大な心で耐え忍ばれたとすれば、23それも、憐れみの器として栄光を与えようと準備しておられた者たちに、御自分の豊かな栄光をお示しになるためだとすれば、どうでしょう。24神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。25ホセアの書にも、次のように述べられています。
「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、
愛されなかった者を愛されたものと呼ぶ。
26『あなたたちは、わたしの民ではない』
と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
27また、イザヤはイスラエルについて、叫んでいます。「たとえイスラエルの子らの数が海辺の砂のようであっても、残りの者が救われる。28主は地上において完全に、しかも速やかに、言われたことを行われる。」
〈異邦人の救い〉
パウロさんはユダヤ人が神さまから選ばられたのと同じように異邦人(=非ユダヤ人)も神さまから選ばれたと言われます。ユダヤ人が偉大ではなくむしろ小さな弱い民族であったからあえて選ばれました。そしてユダヤ人が神さまと共に歩む姿を見て異邦人は神さまと共に生きることを学べるようになさいました。もしユダヤ人が偉大で強い民であれば神さまはそうではない民とは共に歩まれないと人は思うかもしれません。偉大ではない弱いユダヤ人が神さまと共に歩むことをが必要です。異邦人の選びは、イエス・キリストが十字架にかかってくださり罪を身代わりに背負ってくださることによる神さまのゆるしの対象としてです。本来、神さまのみ心をないがしろにして罪を犯していたのはユダヤ人です。イエス様を十字架にかけようと企んだのもユダヤ人です。だからゆるしが必要です。異邦人が選ばれることでイエス・キリストの十字架によるゆるしが多くの人へと開かれました。
異邦人は律法を知りませんし神さまと契約を交わしたわけではありません。それでも神さまを悲しませるがあるかもしれません。神さまにゆるしほしいという気持ちを持つことはあるでしょう。
ゆるしは単純に責め立てることをしないことでもあります。わたしはそれに加えて仲間から外さないことだと思います。神さまのみ心を言い広め行う仲間を、罪のために追い出したりはしません。異邦人の救いによって仲間が増えました。律法を知らないから割礼を受けていないからと線を引くことがなくなりました。わたしたち教会はやはりどこかで線を引いてしまうことがあります。それでも神さまはわたしたちが引いた線の向こう側で働かれることによって福音の豊かな広がりを示してくださいます。
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2013年07月14日
おかえりなさい。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4ヶ月3日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年4ヶ月3日です。
7月12日(金)シホ先生が鹿児島に帰って来ました。13日(土)にはせいあまつりに顔を出してくれました。
私も現地でボランティアしたいです。でもなかなか一歩が踏み出せません。確かに簡単には行けない現実はありますがそれを何とかしようと努力してるとも言えません。
そんななかで共に働いてきた先生が現地に行きボランティアをしてくださったことは本当に嬉しいことです。またその行動と気持に尊敬します。
まずは元気に帰ってきてくれて嬉しく思います。またお話しを聞けましたらこちらにも書きたいなと思っています。
2013年07月08日
聖霊降臨節第8主日〈生活の刷新〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月26日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月26日です。
2013年7月7日(日)
聖霊降臨節第8主日
使徒言行録19章13~20節1913ところが、各地を巡り歩くユダヤ人の祈禱師たちの中にも、悪霊どもに取りつかれている人々に向かい、試みに、主イエスの名を唱えて、「パウロが宣べ伝えているイエスによって、お前たちに命じる」と言う者があった。14ユダヤ人の祭司長スケワという者の七人の息子たちがこんなことをしていた。15悪霊は彼らに言い返した。「イエスのことは知っている。パウロのこともよく知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」16そして、悪霊にとりつかれている男が、この祈禱師たちに飛びかかって押さえつけ、ひどい目に遭わせたので、彼らは裸にされ、エフェソに住むユダヤ人やギリシア人すべてに知れ渡ったので、人々は皆恐れを抱き、主イエスの名は大いにあがめられるようになった。18信仰に入った大勢の人が来て、自分たちの悪行をはっきり告白した。19また、魔術を行なっていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった。20このようにして、主の言葉はますます勢いよく広まり、力を増していった。
〈生活の刷新〉
ユダヤ人の祈祷師たちがパウロさんたちの真似をして悪霊を追い出してみようとしたが失敗しました。悪霊に取りつかれている人から暴力を受けてひどい目にあいます。取りついている悪霊はイエス様とパウロさんのことを知っていると言います。このような不思議な出来事を目にし耳にした人々は特別な力がパウロさんたちに働いていることを知り驚きます。特別な力の存在を知った人が驚いたりその特別な力で自分が困っていることを解決してほしいと願うことは自然な流れです。
ところがこのような力を知った人で信仰を持とうと決心した人たちがしたことは、「自分たちの悪行をはっきり告白」(使19:18)することでした。イエス・キリストが救い主だと信じた人は自分の内にある悪を自分からばらしました。イエス様に自分の罪を告白することはキリスト教では珍しいことではありません。ですが、信仰を受け入れた人がまず自分の悪いことを告白することは、祝福よりゆるしを強調しているように感じます。信じる人たちもほめられることよりゆるされることをより強く感じているようです。
ほめられることばかりを気にしていれば良いことだけを見てほしいと思うようになりがちです。ゆるしてほしいと願えばまずはゆるしてもらう悪いことを知ってもらわないといけません。
また魔術を行なっている人は魔術の書物を人前で燃やしてしまいます。これでは彼らは仕事を失ってしまいます。生活に困るのではないでしょうか。彼らが稼ぐための魔術を捨てたのは、幸せは神さまの恵みでありそれはお金をかせぐことではないと信じたからでしょう。人は宝くじや補償等で突然大金を手にした人の多くが不幸になることがあります。お金さえ手にしたからもう幸せだと思い込むからでしょうか。幸せは互いに思いやり言葉を掛けたり気遣ったり、時に励まし慰め合いながら築いていくものです。神さまのゆるしを信じて自ら自分の悪いことを告白する人たちを見て、魔術でお金を手に入れることを止めようと決心したのでしょう。
豊かになることを追いかけるのをやめて、ゆるされて生かされていることを忘れないことにしました。ゆるされていることを忘れて豊かになるよりも、豊かさを失ってもゆるされていることを忘れないでありのままの自分が受け入れられていると信じ歩むことが幸いだと知ったからです。
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2013年07月04日
牡蠣
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月23日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月23日です。
石巻におられるシホ先生。
牡蠣と海苔の養殖のお手伝いをされているそうです。
エマオのブログにも書かれています。↓
http://ameblo.jp/jishin-support-uccj/entry-11565762824.html
牡蠣のいえば広島県ですが宮城県は日本で二番目の生産地なんですね。
それなのに震災後は働き手が不足しているそうです。
牡蠣、美味しいですよね。食べたいです。
2013年07月01日
仙台市荒浜地区。石巻へ。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月20日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月20日です。
シホ先生から


被害の大きかった仙台市荒浜地区に行かれたそうです。
もうすぐ2年4か月になろうとしていますが、まだ手付かずのところもあるそうです

ボランティア活動が心の支え、との被災者の声も聞かれました。慰めや励ましは人と人の間に生まれるのですね。
震災当初のエマオの荒浜地区の記事をリンクしますね。
で、そんなシホ先生ですがイントネーションが凄いと皆さんからおほめいただいてるそうですよ。さすが頴娃国人


宮城でもイジラレキャラを生かしておられるみたいですね

明日からは石巻市に行かれます。石巻にはエマオ石巻が設置され活動されています。
引き続き先生と被災された皆様の歩みが守られますように祈ります

2013年07月01日
聖霊降臨節第7主日〈祈 り〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月20日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月20日です。
2013年6月30日(日)
聖霊降臨節第7主日
テモテへの手紙一2章1~8節21そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。2王たちやすべての高官のためにもささげなさい。わたしたちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。3これは、わたしたちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。4神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。5神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。6この方はすべての人の贖いとして御自身を献げられました。これは定められた時になされた証しです。7わたしは、その証しのために宣教者また使徒として、すなわち異邦人に信仰と真理を説く教師として任命されたのです。わたしは真実を語っており、偽りは言っていません。
8だから、わたしが望むのは、男は怒らず争わず、清い手を上げてどこででも祈ることです。
〈祈 り〉
勧める背景には実際はそうはなっていなくて勧める必要があることが多いです。祈りについて「すべての人々のために」ささげることが勧められています。また、「神(様)は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおらえ」ることを理由としています。そうしますと、実際には神さまがすべての人を救おうとなさっていることを認めていない人もいた、またそのためにすべての人を祈りに覚えることがなかったと考えられるかもしれません。具体的に王たちや高官のために祈ることが勧められています。こういった人たちは神さまの救いに入れられていないと考えこれらの人のために祈ることなど考えられなかった理由があったのかもしれません。仮にこう考えますと、王たちや高官は福音宣教を快く受け入れなかった、あるいは邪魔をしたりして、この場面での信仰者にとって不愉快な存在だった可能性もあります。耐え難い苦痛を味わった人もいるかもしれません。ならば、その人のために祈ることは人としてはとても難しいことです。またその人たちの救いを積極的に認めることも抵抗があるのは当然です。人であれば自分の感情に考えや行動が左右されるものです。
ですから祈りそのものにも助けが必要です。「わたしたちはどう祈るべきか知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださる」(ローマの信徒への手紙8章26節b)とパウロさんは言っています。納得できなことをしなければならないとき(たとえばよく思っていない人のための幸福を願う等)や受け入れがたい現実に直面したときに、さあ祈りましょう、さあ神さまに言いたいことを言ってごらん、と言われたなら言葉が出てこずただ「うぅっ」とうめくしかありません。このうめきこそ祈りです。信じたいと願うことと実際が違うとき人は痛みます。神さまはこのように人が痛んでおられることをご覧になります。そしてずっとこのことを覚えてくださいます。
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2013年06月29日
給食献立7月
1日(月)・
、かぼちゃのそぼろ煮、オクラのおかか和え、
豆腐の味噌汁、くだもの。
2日(火)・
、鮭の照り焼き、わかめの酢の物、油揚げの味噌汁、
くだもの。
3日(水)誕生日会
・炊き込みご飯、唐揚げ、スパサラ、
野菜スープ、オレンジゼリー。
4日(木) 〜 お弁当の日 〜
5日(金)・ロールパン
、チキンビーンズ、
、
ヨーグルト(イチゴジャム添え)。
6日(土)
7日(日)
8日(月)・
、魚のごま味噌焼
、きゅうりの酢の物、なめこ汁、
くだもの。
9日(火)・ぶっかけそうめん、アメリカンドッグ、トマト、くだもの。
10日(水)・
、大豆の五目煮、じゃがいもの味噌汁、くだもの。
11日(木) 〜 お弁当の日 〜
12日(金)・ミートスパゲッティ
、ポテトサラダ、
、チーズ。
13日(土)
14日(日)
15日(月/海の日)
16日(火)・ハヤシライス、野菜サラダ、くだもの。
17日(水)・ビザトースト、ポテトフライ、
、くだもの。
18日(木) 〜 お弁当の日 〜
19日(金)一学期終業式 ~ 午前11時30分降園 ~
20日(土)
21日(日)
22日(月) 夏
23日(火) 〜 お泊り保育 〜
24日(水) 〃
25日(木) 休
26日(金)
27日(土)
み
28日(日)
29日(月)
30日(火)
31日(水) 〜 夏期保育 〜
posted by (C)聖亜幼稚園

豆腐の味噌汁、くだもの。
2日(火)・

くだもの。
3日(水)誕生日会

野菜スープ、オレンジゼリー。
4日(木) 〜 お弁当の日 〜
5日(金)・ロールパン


ヨーグルト(イチゴジャム添え)。
6日(土)
7日(日)
8日(月)・


くだもの。
9日(火)・ぶっかけそうめん、アメリカンドッグ、トマト、くだもの。
10日(水)・

11日(木) 〜 お弁当の日 〜
12日(金)・ミートスパゲッティ


13日(土)
14日(日)
15日(月/海の日)
16日(火)・ハヤシライス、野菜サラダ、くだもの。
17日(水)・ビザトースト、ポテトフライ、

18日(木) 〜 お弁当の日 〜
19日(金)一学期終業式 ~ 午前11時30分降園 ~
20日(土)
21日(日)
22日(月) 夏
23日(火) 〜 お泊り保育 〜
24日(水) 〃
25日(木) 休
26日(金)
27日(土)
み
28日(日)
29日(月)
30日(火)
31日(水) 〜 夏期保育 〜
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2013年06月28日
聖霊降臨節第6主日〈差別の中に生きること、 救いを求めて叫ぶこと〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月17日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月17日です。
2013年6月23日(日)
聖霊降臨節第6主日
日本キリスト教団部落解放センター九州教区キャラバン
マルコによる福音書5章1〜10節日本キリスト教団部落解放センター九州教区キャラバン
51一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。2イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。3この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。4これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことはできなかったのである。5彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。6イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、7大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、苦しめないでほしい。」8イエスが、「汚れた霊、この人から出て行け」と言われたからである。9そこで、イエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。10そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。

〈差別の中に生きること、 救いを求めて叫ぶこと〉
この日の礼拝は日本キリスト教団部落解放センター九州教区キャラバン隊員として鹿児島に来ていただいた金耿昊(キムキョンホ)さんに奨励を担当していただきました。私たちは差別の問題があると知りつつ積極的に関わってきませんでした。少しずつでもかわっていくことを示していただいたとお思います。
私は鹿屋伝道所の説教担当をさせていただいて一緒に参加できなかったのは残念でしたが金さんに指宿教会でご奉仕いただけて嬉しく思います。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2013年06月27日
エマオ着。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
3か月16日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
3か月16日です。
2013年6月27日(木)
無事に現地に着かれました。

シホ先生を受け入れてくださるのは日本基督教団東北教区被災者支援センター・エマオです。指宿からエマオがある宮城県仙台市は直線距離でほぼ1200kmも離れています。エマオの働きについてはリンクを貼っていますのでぜひブログをご覧になってみて下さい。
シホ先生からはエマオのスタッフさんたちにあたたかく迎えていただいてひとまずほっとしていると連絡をいただきました。
これから本格的なボランティアに入っていかれ、被災された方や被災した土地を御覧になることでしょう。そこで同じように他からワーカーとして来られた方と共に歩を始められることでしょう。
神さまが被災地で歩まれている方々を、被災された方もボランティアとして立っておられる方も、しっかりと守り支えてくださいますように。

2013年06月27日
聖霊降臨節第6主日〈主にある共同体〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月16日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月16日です。
2013年6月23日(日)
聖霊降臨節第6主日
日本基督教団鹿屋伝道所応援説教
使徒言行録4章32~37節日本基督教団鹿屋伝道所応援説教
432信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。33使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。34信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、35使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。36たとえば、レビ族の人で、使徒たちからバルナバ
〈主にある共同体〉
「教会」って一体どんなところなんだろう、という疑問に対して本日の聖書の言葉は一つの解答を与えてくれます。「自分のものだ」ということにこだわらずに、必要な人の手に渡るのならば喜んで財産を手放します。だから必要が満たされない貧しい人など信者には一人もいませんでした。
イエス様を宣べ伝え、地域の人からは好意を持たれていました。
こんなふうに聞くと牧師である私でさえ(牧師であるからこそ)こんな教会が本当に実在するの? と思ってしまいます。どこを見回してもこんな教会は見当たりませんしあったとしても全体からすればわずかです。
ここで示されるのは「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコによる福音書1章15節)」とのイエス様の言葉です。伝道を始められたときの第一声です。簡単な表現で言えば「待ち時間は終わりましたよ。神さまが支配される国がここで実現されようとしています。今までの考え、つまり今は待っているときで神さまの支配はまだ見えてこない、との考えを改めて神さまが支配される国が実現しようとしていることを信じて、嬉しい知らせを受け取りましょう」という感じでしょうか。
この言葉も今日の聖書の言葉と同じ感想を持ちます。悲しいニュースがあふれています。暴力や貧困に苦しんでいる人にのべられる救いの手はほんのわずかです。神さまの支配される国をいつまで待てばいいのでしょうか。こんな現状で、「時は満ち、神の国は近づいた」なんてどうして信じられるでしょう。神さまの支配が始まる希望をもって嬉しい知らせを受け取るなんてどうすればできるでしょうか。
あまりに現状とかけ離れすぎている
そう思いたくなります。
これは見える力だけで判断するからこうなるのだろうと思います。聖書は見えない力が働いていることを知っています。神さまの助けが見えはしないけれども確かに働いているとするならば信仰者は理想を追い続けます。現状がどのようなものであっても、できっこない、こんな小さな力では何の役にも立たない、とにかくいろいろな理由をつけて現状を受け入れる他仕方のないことだとあきらめて何もしないわけにはいかないのです。
イエス様の十字架の死は私たちの罪のゆるしのためです。なぜわたしたちはゆるされる必要があるのでしょうか。それはゆるしを受けてイエス様の業に参加するためではないでしょうか。
教会はたとえ現状がどうであっても主にある共同体です。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
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2013年06月26日
いってらっしゃい。(^_^)/~
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年6か月15日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年6か月15日です。
「私は3月11日、普通に幼稚園で働いてました。
保育が終わって、職員室に行くと、テレビで大地震が起きたこと、津波がきたことを知りました。
そしてまた、普段通り仕事に戻りました。
それから被災地の状況、物資不足、避難所で暮らす方々の様子を知りました。
東北ではつらい思いをしてる人がいるのに、こんなに普通に生活してていいのかなって、何だか申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
何かお手伝いしたいと思いました。
私が東北に行っても、何が出来るか分からないし、何も出来ないかもしれないって、悩んだのですが、悩んでたってしょうがないので、行ってみようって決意しました。
明日からいってきます!」
以上はシホ先生からいただいた文書です。意気込みをぜひとお願いして送っていただきました。
私は「東日本大震災の被災地へ行ってみたい」とお聞きしたときとても嬉しかったです。私たちは夫婦で1995年1月17日(火)発生の阪神大震災に被災しています。あのとき被災した者同士の支えあいに力を得ました。また被災地を覚えてくださる思いにも大きな励ましを受けました。反対にまわりの関心が薄れていくことに何とも言えない不安とさびしさを味わいました。だから嬉しいんです。そして応援したいんです。
こんな思いでブログを書いていくことにしました。皆さんも被災地を改めて覚えてくださり、シホ先生の被災地での歩を覚えてくださり思いを寄せていただけたら嬉しいです。
お願いします。m(_ _)m
タグ :東日本大震災
2013年06月17日
日本基督教団指宿教会
日本基督教団指宿教会ホームページ
定期集会のご案内
教会学校 毎日曜日 午前9時30分〜10時20分
主日礼拝 毎日曜日 午前10時30分〜11時30分
礼拝終了後、茶話会があります。
〒891-0403
鹿児島県指宿市十二町540番地16号
TEL&FAX 0993-22-5044
牧師 坂田 茂
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2013年06月16日
日曜参観。
東日本大震災
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月5日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月5日です。
2013年6月16日(日)
本日は日曜参観でした。家庭教育学級も兼ねて親子体操をしました。体操教室でお世話になっている副島先生にご指導していだいて楽しい時を過ごしました。体を触れ合い動かすことはとても楽しいことです。お友だちのお顔が輝いていました

幼児教育の世界ではいろいろなことが言われていますが、やはり今しかできないことを今大切にしていきたいですね。スキンシップはその代表です。
10年後、お子さんが中学生になった頃を想像してみてください。そのころおんぶしたりさせてくれるでしょうか。
今していることは今しかできないことなのか、考えたいですね。
今日は今しかできない触れ合い体操をおもいっきり楽しみました

2013年06月16日
父の日プレゼント作り。
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月5日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月5日です。
父の日ということで本日教会学校の分級は父の日プレゼント


プレゼントはプラ板です。透明な薄いプラスチックシートに絵を書いてパンチで穴を開けます。これをオーブントースターであたためると小さく縮み厚みが少し出てキーホルダーみたいになるんです

今日は私の息子二人だけの出席でしたので、私のプレゼント作りになりました。
ありがとう、です

2013年06月16日
聖霊降臨節第5主日〈生涯のささげもの〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月5日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年3か月5日です。
2013年6月16日(日)
聖霊降臨節第5主日
コリントの信徒への手紙二8章1〜15節81兄弟たち、マケドニア州の諸教会に与えられた神の恵みについて知らせましょう。2彼らは苦しみによる激しい試練を受けていたのに、その満ち満ちた喜びと極度の貧しさがあふれ出て、人に惜しまず施す豊かさとなったということです。3わたしは証ししますが、彼らは力に応じて、また力以上に、自分から進んで、4聖なる者たちを助けるための慈善の業と奉仕に参加せてほしいと、しきりにわたしたちに願い出たのでした。5また、わたしたちの期待以上に、彼らはまず主に、次いで、神の御心にそってわたしたちにも自分自身を献げたので、6わたしたちはテトスに、この事前の業をあなた方の間で始めたからには、やり遂げるようにと勧めました。7あなたがたは信仰、言葉、知識、あらゆる熱心、わたしたちから受ける愛など、すべての点で豊かなのですから、この慈善の業においても豊かな者となりなさい。
8わたしは命令としてこう言っているのではありません。他の人々の熱心に照らしてあなたがたの愛の純粋さを確かめようとしていうのです。9あなたがたは、わたしたちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は豊かであったのに、あなたがたのために貧しくなられた。それは、主の貧しさによって、あなたがたが豊かになるためだったのです。10この件についてわたしの意見を述べておきます。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは、このことを去年から他に先がけて実行したばかりでなく、実行したいと願ってもいました。11だから、今それをやり遂げなさい。進んで実行しようと思ったとおりに、自分が持っているものでやり遂げることです。12進んで行う気持ちがあれば、持たないものではなく、持っているものに応じて、神に受け入れられるのです。13他の人々には楽をさせて、あなたがたに苦労をかけるということではなく、釣り合いがとれるようにするわけです。14あなたがたの現在のゆとりが彼らの欠乏を補えば、いつか彼らのゆとりもあなたがたの欠乏を補うことになり、こうして釣り合いがとれるのです。
15「多く集めた者も、余ることはなく、
わずかしか集めなかった者も
不足することはなかった」
と書いてあるとおりです。
〈生涯のささげもの〉
ささげることについて、持っている人ではなくて持たない人を見習うように勧められています。マルコによる福音書12章41〜44節には、金持ちがたくさん入れいていたのに貧しい未亡人が銅貨2枚入れたのを御覧になったイエス様が「この貧しいやもめは、賽銭箱に入れている人の中で、だれよりもたくさん入れた。皆は有り余る中から入れたが、この人は、乏しい中から自分の持っている物をすべて、生活費を全部入れたからである」と言われました。何らかの力ある人が困っている人をかわいそうに思いその人のために与えることはもちろん良いことです。神さまのためにささげることもそうです。しかしこの「〜ために」ささげることよりもっと尊いものがあります。
生活費を全部入れてしまった未亡人はこれで自分で生活することはできません。どうするのか、それはきっと神さまがどうにかしてくださると信じていると思います。彼女は神さまの「ために」ささげたのではなく、神さまと「共にいるから」ささげたのです。例えて言うならば少し昔給料をもらった夫が妻にそれを渡すのに近いイメージだと思います。彼女にとってささげることは誰かの欠乏を補うことではなくて、誰かと共にいるために共有することです。
「〜のために」ささげることはある意味、自分の出来る分は果たしたので後は他の人が何とかするべきと、切り離してしまうことになることもあるでしょう。ささげるとは自分の分の責任を果たすことではなく、共有して担いあうことです。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
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