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2011年04月10日

ルカによる福音書二十章九〜十九節。〈十字架の勝利〉。

四月十日()。


受難節第五主日礼拝式。

ルカによる福音書二十章九〜十九節

 9イエスは民衆にこのたとえを話し始められた。「ある人がぶどう園を作り、これを農夫たちに貸して長い旅に出た。10収穫のときになったので、ぶどう園の収穫を納めさせるために、僕を農夫たちのところへ送った。ところが、農夫たちはこの僕を袋だたきにして、何も持たせないで追い返した。11そこでまた、ほかの僕を送ったが、農夫たちはこの僕をも袋だたきにし、侮辱して何も持たせないで追い返した。12更に三人目の僕を送ったが、これにも傷を負わせてほうり出した。13そこで、ぶどう園の主人は言った。『どうしようか。わたしの愛する息子を送ってみよう。この子ならたぶん敬ってくれるだろう。』14農夫たちは息子を見て、互いに論じ合った。『これは跡取りだ。殺してしまおう。そうすれば、相続財産は我々のものになる。』15そして、息子をぶどう園の外にほうり出して、殺してしまった。さて、ぶどう園の主人はどうするだろうか。16戻ってきて、この農夫たちを殺し、ぶどう園をほかの人たちに与えるにちがいない。」彼らはこれを聞いて、「そんなことがあってはなりません」と言った。17イエスは彼らを見つめていわれた。「それでは、こう書いてあるのは、何の意味か。
『家を建てる者の捨てた石、
これが隅の親石となった。』
18その石の上に落ちる者は誰でも打ち砕かれ、その石がだれかの上に落ちれば、その人は押しつぶされてします。」19そのとき、律法学者たちや祭司長たちは、イエスが自分たちに当てつけてこのたとえを話されたと気づいたので、イエスに手を下そうとしたが、民衆を恐れた。

「十字架の勝利」

 歴史の中で拷問をうけても意見を曲ないで死んでいった人がたくさんおられます。日本でも戦争中にありました。ある人は戦争に反対しました。戦時中はほとんど自由がありませんでした。そんな時代には生きるために表向きは国家に従順な振りをしても誰も責めることはできません。それでも命を賭けて考えを曲げないと言い続けたのはよほどの理由があったに違いありません。

今日の聖句はぶどう園のたとえ話です。話の中身はぶどう園の主人が神様で農夫がイスラエルの民であると、神様がイスラエルの民に預言者など僕を送られましたが民は僕を拒絶しました。最後に子であるイエス様を送られますが民はイエス様を殺してしまうでしょう。そうすると神様は悪事を働く民に裁きをくだされるでしょう。とこんな話になります。

 この話をしたことによって起こった現実は民衆を恐れたのでその場では何もありませんでしたが、イスラエルの指導的な立場の人々に反感を持たれることになります。イエス様は度々指導的立場の人々の面前で当時の社会の有り様を辛辣に批判されます。戦時中の日本で国家を批判するとどうなるかはほとんどの人が想像できます。イエス様の時代も程度の差はあるでしょうが同じでした。イエス様のこのような言動はある意味自殺行為であります。

 たとえ話の中身にしてもこの主人のあまりのお人好し振りが目につきます。初めの僕が追い返された時点で農夫たちを懲らしめてもおかしくありません。それなのに何人も僕を送り息子まで送ってしまうのは不思議に思います。

 戦時中考えを曲げずにいる人を見て「死んだら何にもならない」と考え愚かな行為と考えた人もいるでしょう。イエス様の生き方もいくら正しいことを言い助けを求める人たちに手を差し伸べ続けたとしても「殺されてしまったら何にもならない」と考えることもできます。

 イエス様は生き方を曲げずに十字架の上で殺されることにより、すべての人の罪は赦されるとの願いを死ぬまで持ち続けられました。どんな現実にも負けず考えを曲げないことにより支えられることがあります。人は楽しみや豊かさよりも、大切にされ必要とされることが生きていく力になります。

 人が「何にもならない」と言ったことによって多くの人が生きる力を与えられます。命を奪われても戦争に反対した人によって平和の大切さを私たちは知ります。イエス様はすべての人が罪を赦され神様と共にいきることの大切さを示されます。

 主人は繰り返し農夫が自分に従うことを期待し続けます。けれども息子を殺されたときに農夫を見捨られました。この結びは本来のものを変更してイエス様が十字架へ向かようにされたと想像すればこの農夫たちは私たちのことではないでしょうか。



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Posted by C3 at 21:21│Comments(0)礼拝式報告
 
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