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2011年04月17日

ルカによる福音書二十二章三十九〜五十三節。〈十字架への道〉。

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東日本大震災発生〔二千十一年三月十一日(金)〕から一ヵ月九日です。
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ルカによる福音書二十二章三十九〜五十三節

 39イエスがそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。40いつもの場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。41そして自分は、石を投げて届く程の所に離れ、ひざまずいてこう祈られた。42「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」〔43すると、天使が現れて、イエスを力づけた。44イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕45イエスが祈り終わって立ち上がり、弟子たちのところに戻って御覧になると、彼らは悲しみの果てに眠り込んでいた。46イエスは言われた。「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。

 47イエスがまだ話しておられると、群衆が現れ、十二人の一人でユダというものが先頭に立って、イエスに接吻しようと近づいた。48イエスは、「ユダ、あなたは接吻で人の子を裏切るのか」と言われた。49イエスの周りにいた人々はことの成り行きを見て取り、「主よ、剣で切りつけましょうか」と言った。50 そのうちのある者が大祭司の手下に打ちかかって、その右の耳を切り落とした。51そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れて癒された。52それからイエスは、押し寄せてきた祭司長、神殿守衛長、長老たちに言われた。「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持ってやって来たのか。53わたしは毎日、神殿の境内で一緒にいたのに、あなたたちはわたしに手を下さなかった。だが、今はあなたたちの時で、闇が力を振るっている。」

棕梠の主日〈十字架への道〉

 本日の聖句ではいよいよイエス様を殺そうとする人たちがやって来て捕まえようとする場面が描かれています。

 よくイエス様は夜一人祈られます。人の目を避けられ一人きりで神様と語り合われます。このときもいつものように山に登り祈られます。お弟子さんたちも側にいますが少し離れた場所へ一人行かれ祈られます。こことき本当の気持ちは殺されてしまうことを恐れてできれば殺されたくないと願っていることを神様に伝えられます。けれども最終的には神様が思っておられることが実現することを祈られます。この最終的には神様が思っておられることが実現するように祈ることは主の祈りのようにイエス様が私たちにお示しくださった祈りのお手本だと言う人もおられます。

 イエス様がお弟子さんたちの元へ戻られると彼らは眠っていました。イエス様は彼らに「誘惑に陥らぬように、起きて祈っていなさい」と咎められています。眠りが誘惑に陥らせるという私のイメージは、学生さんが課題提出の締め切りの前の日にあきらめて寝るのと似ています。やるべき現実から目をそらしてあきらめないと仕方ないところまで寝ることによって逃げてしまうわけです。

 イエス様を捕まえようとやって来た人たちは祈りの時間である夜にやって来ます。人の目から隠れる闇の時間です。イエス様は昼間人前に立っているときには何もせず夜になって人の目を避けて行動を起こす闇を指摘されます。彼らは人前では神様に祈りをささげ自分たちが神様の御前を歩んでいることを人に見られるようにします。人目を避けて祈られるイエス様とは対照的です。

 イエス様は闇の力に支配された人たちにより捕まり十字架の上で迎える死へと送り出されます。闇の力はどこか人の外側から支配するもののように思われます。闇は人の目を見えなくします。闇を恐れたり好んだりするのは人の目を気にしていることです。人の目を気にしていることは神様の目を気にしていないことを表しています。闇の力は外側から人を操る力ではなく神様の目よりも人の目を気にする人の心のうちにある闇です。

 イエス様が夜一人祈られるのは人の目よりも神様の眼差しを必要とされたからです。私たちもその人にしか言えないことは他の人には遠慮していただいて二人にきりになって話します。イエス様の祈りは神様の思っておられることが現実となることが良いと知りつつもご自身のありのままの思いを神様に伝えておられます。夜はイエス様にとって神様にしか見せられないありのままの自分を語れるときです。闇は人の目を恐れ神様を畏れない自分が出るときです。

 イエス様は私たちの罪の罪が神様に許されるとの願いをご自身の弱さともろさを抱えながら持ち続けてくださり十字架への道を歩んでくださいました。ありのままの姿で歩んでも神様に受け入れられると信じてよい道です。

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聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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マイクのスイッチを入れ忘れてましたガーン。以後気をつけます。


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Posted by C3 at 12:22│Comments(0)礼拝式報告
 
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