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2011年12月25日

ヨハネによる福音書1章1〜14節〈キリストの誕生〉

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
9か月14日です。

クリスマス

ヨハネによる福音書1章1〜14節
 1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2この言は、初めに神と共にあった。3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。4言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。5光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
 6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。9その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。10言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってでなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。
 14言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。

〈キリストの誕生〉
ヨハネによる福音書1章1〜14節〈キリストの誕生〉_ヨハネによる福音書ではキリストのことをコトバと言います。
_なるほどコトバには力があります。まず人は大切な存在には名前を付けます。名前を付けることによりその存在はコトバと結びつきます。どうでもよいと思うものには名前を付けません。
_気持ちも「嬉しい」とか「悲しい」とコトバにします。これは喜ぶ気持ちや悲しむ気持ちを人が大切にしているからでしょう。
_しかしコトバにならない思いもあります。コトバにならない、コトバが出ない、コトバを失う、こんな状況です。時間の経過と共にコトバに表せるようになると人は落ち着きます。

ヨハネによる福音書1章1〜14節〈キリストの誕生〉_「万物は言によって成った」と言います。目の前にナニかがありそのナニかをコトバと結びあわせるわけではありません。コトバが先にありナニかが存在するようになります。コトバで表せないナニかでは決してありません。全てはイエス様に取って意味がありコトバで表されるから存在するようになりました。「言の内に命があ」ります。「命は人間を照らす光であ」ります。

ヨハネによる福音書1章1〜14節〈キリストの誕生〉_命はコトバによって突き動かされます。命を動かすことは生命が維持できる状態というわけではなくて、その状態を用いて働きかけることです。何のために生きるのかを見出すことです。コトバは命を突き動かす力があります。私たちは固有の名前で呼ばれ呼んだりすることが増えれば生きる理由も増えます。貧しさと戦うのに貧しい人と出会うでけではなく、○○さんという貧しい人と出会うことが力になります。

_「命は人間を照らす光」です。明るすぎればいろんなものが見えてどれを見ていいか迷います。暗ければよく見えず大ざっぱにみてしまいます。灯火は見るべきところをはっきりと照らします。

_イエス様は命を捨ててくださいました。それは私たちの罪の身代わりになるためです。自分が灯火に照らされるとき罪が見えるのを嫌がり暗闇へと逃げようとしたり必要以上に明るい場所へ逃れようとします。自分の隣人が灯火に照らされたとき罪ある人だからと言って暗闇に目をやりあるいは他を照らしてみようとするかもしれません。そうならないようにキリストは十字架にかかり苦しんでくださり、私たちに赦しを与えてくださったのです。

_私たちは人生の意味を失うときがあります。全ての人生はキリストであられるコトバによって覚えられており意味があります。私たちはキリストの思いの中にきちんとコトバとして記されています。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988


_礼拝式中に信仰告白式を執行しました。教師なり16年目で初めての信仰告白式でした。神様に感謝ですにっこり

_礼拝式後、記念撮影をし、愛餐会を持ちました。たくさんのご馳走でお腹も心も満たされました頼む


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Posted by C3 at 16:43│Comments(0)礼拝式報告
 
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