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2012年02月12日

ヨハネによる福音書5章1~18節〈いやすキリスト〉

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月1日です。

降誕節第7主日

ヨハネによる福音書5章1~18節
_1その後、ユダヤ人の祭りがあったので、イエスはエルサレムに上られた。2エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で「ベトザタ」と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった。3この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた。5さて、そこには三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池に中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、他の人が先に降りて行くのです。」8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
_その日は安息日であった。10そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」11しかし、その人は、「わたしをいやしてくださった方が、『床を担いで歩きなさい』と言われたのです」と答えた。12彼らは、「お前に『床を担いで歩きなさい』と言ったのはだれだ」と尋ねた。13しかし、病気をいやしていただいた人は、それがだれであるか知らなかった。イエスは、群衆がそこにいる間に、立ち去られたからである。14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないともっと悪いことが起こるかもしれない。」15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。17イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。

〈いやすキリスト〉
癒すという言葉には治すという言葉と比べると病気や痛みから解放されるだけでなく、心の疲れからも解放される意味が含まれていると聞こえます。

本日の物語は三十八年も病気に苦しんできた人がイエス様によって病気から解放されます。これでこの人は癒されたとして物語は終わりません。

癒されたこの人は床を担いで歩いていました。イエス様が癒し与えられた言葉が「床担いで歩きなさい」でありこの人はこの言葉の通りに床を担いで歩けるようになりました。この日は安息日でした。律法の決まりでは安息日に働いてはいけません。床を担いで歩いている人は律法に違反していると咎められます。

咎められたこの人は自分の考えや思いを伝えることなくただ自分は言われた通りにしただけだと言い逃れます。最初、自分を病気から解放してくれた方の名前を知らなかったけれども、後でイエス様に出会って知りました。するとすぐに自分を咎めた人たちに自分に命じたのはイエス様だと告げます。このことでイエス様は迫害されるようになったと書かれています。

この人は三十八年苦しんだ病気から解放されました。しかし癒されたと言えるのでしょうか。床を担いで歩いていることを咎められたときに、この人は自分自身の心に向き合うことなく他人のせいにしました。創世記に記されているアダムとエバが神様との約束を破り知恵の木の実を食べたときに、神様から約束を破ったことを責められました。このときの二人も他人のせいにしました。病気は治っても罪からは解放されていません。

さらに物語は続きます。迫害を受けるようになったイエス様は自らの言動でさらに憎まれるようになり命を狙われるようになります。これは人の罪を身代わりに背負うためです。病気から解放しさらに罪を身代わりに背負われることがイエス様の癒しです。

私たちは自分の罪を自分でなんとかしようとします。罪を取り去るか埋め合わせに何をしようとします。自分の罪にとらわています。他人と関わるときも他人の罪をみて、その罪を取り除かせようとしたり埋め合わせになることをさせようとします。他人の罪にもとらわれています。そして罪を抱えていれば神様は私たちを見放されると考えます。

イエス様はあなたの罪を私に背負わせろと言われます。そしてその罪を背負い十字架へと向かわれます。私たちは罪を差し出せばよいのです。私たちに与えられた癒しは私たちを罪から解放します。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988



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Posted by C3 at 20:59│Comments(0)礼拝式報告
 
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