2012年02月26日
マタイによる福音書4章1~11節〈荒れ野の誘惑〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月15日です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
11か月15日です。
受難節第1主日
マタイによる福音書4章1~11節
_1さて、イエスは悪魔から誘惑を受けるため、〝霊〟に導かれて荒れ野に行かれた。2そして四十日間、昼も夜も断食した後、空腹を覚えられた。3すると、誘惑する者が着て、イエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」4イエスはお答えになった。
_「『人はパンだけで生きる者ではない。
_神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』
と書いてある。」5次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、6言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
_『神があなたのために天使たちに命じると、
_あなたの足が石に打ち当たることのないように、
_天使たちは手であなたを支える』
と書いてある。」7イエスは、「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある」と言われた。8更に、悪魔はイエスは非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその繁栄ぶりを見せて、9「もし、ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と言った。10すると、イエスは言われた。「退け、サタン。
_『あなたの神である主を拝み、
_ただ主に仕えよ』
と書いてある。」11そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが来てイエスに仕えた。
〈荒れ野の誘惑〉
荒れ野は困っていても助けが得られない場所です。空腹は命が危険にされている状態です。
この状況で最も必要なのは食料です。この状況で石をパンに変えることは、拒否しなければならない程のことか、とも思えます。
飛び降りても守られるのかどうか試すことは明らかにおかしなことだと感じます。権力を得るために悪魔を礼拝するのもおかしいことです。
権力を得るために悪に手を染めることはありがちなことです。しかし悪に手を染め得た権力を正義に用いようとすれば結局権力を手放さなければ正義を貫くことはできないことがほとんどです。
試すことは予想したり計算することに通じます。うまくいく可能性が高いと予想されることを選択するならば、いつしか自分が目指していたことからどんどん離れてしまうかもしれません。結果を出すことにとらわれれば目指すべきものが変わってしまいます。
食料を得続けることは生き続けることですが、生き続けることが目的ではなく手段です。何かをなすために生き続けようとするのです。その目的を見失えば生き続けることができても仕方ないかもしれません。
イエス様は誘惑をお受けになりました。全ての人の罪を神様が許されるようにとの願いを持ってくださりながら。その願いは力を持つことより優先されます。結果を出すために曲げられることもありません。命を失うようなことになろうともこの願いは弱くされることはありません。
私たちは力が必要なときに力が与えられないことがあるかもしれません。結果が必要なのに結果が出ないかもしれません。生き続けていくことが突然できなくなってしまうこともあるかもしれません。けれどもたとえそうであっても、私たちは、罪が神様から許され神様が愛し必要としてくださる者であることをイエス様が信じ続けてくださる者なのです。このイエス様の思いは十字架にかかり殺されることになっても弱まることはありません。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
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Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
聖霊降臨節第17主日〈隣 人〉
聖霊降臨節第16主日〈教会の一致と交わり〉
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Posted by C3 at 19:51│Comments(0)
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