2013年03月10日
受難節第4主日〈主の変容〉
東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
明日で2年です。
2011年3月11日(金)午後2時46分から
明日で2年です。
2013年3月10日(日)
受難節第4主日
マタイによる福音書17章1~13節171六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。3見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。4ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」5ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。6弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。7イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」8彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにだれもいなかった。
9一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してならない」と弟子たちに命じられた。10彼らはイエスに、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」と尋ねた。11イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。12言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」13そのとき、弟子たちは、イエスが洗礼者ヨハネのことを言われたのだと悟った。
〈受難の予告〉
イエス様は3人の弟子を連れて高い山に登られます。するとモーセとエリヤが現れます。エリヤは洗礼者ヨハネだと言われます。エリヤとヨハネに共通しているところは二人共王様に嫌われています。それは王様の耳に心地よい預言をしないで耳の痛い預言をするからです。またこのことは他の預言者は王様の耳に心地よい預言をしていたことをあらわしています。いつの間にか預言者はどのようなことを語れば王様は喜んでくれるかを考えるようになりました。
エリヤとヨハネは王様の耳に心地よいか耳が痛いかに左右されることなく神さまが与えてくださった言葉を伝えます。神さまの言葉を曲げてまで聞く者が心地良いと感じる言葉を語る必要など全くないと考えていたことでしょう。
悪いことをしていてもそれは悪いことではありませんと言えば良い、何かをしようとしていれば無謀なことでもきっとうまくいきますと言えば良い、危険なものでも王が欲していればそれは安全なものですと言えば良いと思う預言者もいました。エリヤとヨハネは悪い行いは悪いと、無謀な行いは失敗すると、危険なものは危険だと、神さまが与えられる言葉を伝えます。ほかの預言者が自分の耳に心地よい預言をするのに一人だけそうではないどころか耳の痛い預言をすればそれは嫌われることでしょう。他の預言者嫌われることを恐れて預言を曲げました。エリヤとヨハネはそれを元に戻し真っ直ぐにしました。
私たちは現実を直視したくないと思うことがあります。面倒なことには関わりあいになるのは嫌だと思うことがあります。私たちが気持ちから見たくないものを追い出したとしても現実からなくなるわけではありません。現実は私たちに都合の良いようになってはくれません。これは神様の言葉も同じです。神様の言葉も私たちの都合の良いことばかりではなく聞きたくないと思うような言葉もあります。
そして人と人の関係も自分に都合の良いことばかり言う人は信用できません。相手を喜ばせて何かを手に入れようとしていたり面倒なことはできるだけ避けたいからいい加減なことが言えます。本当にその人のことを思っている人はありのままをしっかりと見て言うべきことを言います。それが相手を怒らせるようなことであってもです。
イエス様がエリヤと語りあったとあります。きっとエリヤはイエス様が喜ぶことを話したわけではなく心騒ぐような話をしたことでしょう。イエス様がこれから歩かなければならない道がどんなに困難で痛みと悲しみに満ち溢れたものであるかを話したはずです。神さまが語るように導かれたことがらをあるがままに語ったはずです。これはイエス様にとって大きな支えになったことでしょう。ありのままを受け入れられたからです。全てを理解した上で神さまがイエス様を愛しておられることを力強く示しているからです。
人はうまくいかないとき神さまは自分のことを見捨てたと思うこともあるでしょう。あるいは苦しみばかりであれば自分なんて生まれて来なければよかったと思うこともあります。しかし人が生まれ来て良かったと心から思うには自分の願いに忠実でなければなりません。願いは将来の夢とも言わます。願いを持ち続けて前へ進めばつらい思いをすることもあります。本当にその人のことを大切に思うなら、大切な人がつらい思いを抱えているのを見るのは自分も辛いことでしょう。それでも大切な人が願いを失わないで歩んでいけるように支えることはなかなかできることではありません。ついあきらめたらと勧めてしまうこともあるでしょう。
神さまは人の願いを大切にし続けることができるお方です。イエス様は全ての人が罪をゆるされていると信じて神さまとともに歩む喜びをもって生きることを願われました。イエス様とモーセとエリアが出会ったこの場面では、イエス様の願いをそれによってぶつかる苦しみも合わせてまるごと受け入れてくださる神さまが語り合われているのです。
聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
今日は説教の時間は15分くらいで11時20分には報告を含めて礼拝を終えることができました。
しばらくはこんな感じでいこうと思います。
しばらくはこんな感じでいこうと思います。
聖霊降臨節第17主日〈隣 人〉
聖霊降臨節第16主日〈教会の一致と交わり〉
聖霊降臨節第15主日〈究極の希望〉。
聖霊降臨節第14主日〈忍 耐〉。
聖霊降臨節第13主日〈家 族〉。
聖霊降臨節第12主日/平和聖日〈苦難の共同体〉。
聖霊降臨節第16主日〈教会の一致と交わり〉
聖霊降臨節第15主日〈究極の希望〉。
聖霊降臨節第14主日〈忍 耐〉。
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Posted by C3 at 21:19│Comments(0)
│礼拝式報告