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2013年03月17日

受難節第5主日〈十字架の勝利〉

東日本大震災発生
2011年3月11日(金)午後2時46分から
2年6日です。

2013年3月17日(
受難節第5主日
マタイによる福音書20章20~28節
2020そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。21イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人はあなたの左に座れるとおっしゃってください。」22イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとする杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」というと、23イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる。しかし、わたしの右と左に誰が座るかは、わたしの決めることではない。それは、わたしの父によって定められた人々に許されるのだ。」24ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。25そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。26しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、27いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。28人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

〈十字架の勝利〉
 ゼベダイの子ヤコブとヨハネは12人の使徒の中でも特別な存在であったかもしれません。イエス様の姿が光り輝きモーセとエリアと話し合う場面では、イエス様はみんなから離れて山に登られます。3人の弟子たちだけが一緒に行くことをゆるされます。その一人はペトロであとの二人がゼベダイの子ヤコブとヨハネです。
 12人の使徒たちはたくさんいた弟子たちの中で12人だけの特別な弟子たちの中に選ばれます。そして使徒という弟子とは違った呼び名を与えられます。これだけでも大きな名誉です。しかし12人はだれが一番偉いのかを気にしていました。
 イエス様に出会うまでの12人はそれぞれの事情で人々から見下されていた人ばかりです。社会の底辺にいた12人は競争社会の中で埋もれてしまう悲しさをよくよく分かっていたはずです。イエス様に声を掛けられたときはそれだけで大喜びでついていくことにした人たちです。
 12人の中に選ばれ多くの人から尊敬されるうちにさらに上へ上へと目指す気持ちを持つようになったのでしょう。自分たちを社会の底辺に押し込めた競争をしているのです。
 ヤコブとヨハネは主の姿が変わったとき一緒に山に行った3人の中に入りました。今度は兄弟でイエス様の右と左に座りたいと願います。12ある席から3つある席につくことができたことに飽き足らずに今度は2つしかない席に兄弟で座りたいと願います。
 これに対しイエス様は最終的に、誰が座るのかは自分ではなくて神様であると告げられます。そして神様がお決めになられたことを人が変えることはできません。しかし人は神様がお決めになることも自分の都合が良いようになってほしいと願うことがあります。
 イエス様は全ての人の罪が神様にゆるされて神様とともに歩むことを願われました。これも神様がお決めになることです。神様はイエス様の願いを受け止められました。でもこの願いを持ち続けるためには十字架にかかって殺されることになると神様がお決めになられました。願いを捨てるのか十字架にかかって殺されるか選ばなければなりません。イエス様は願いを持ち続けることを選ばれました。
 ヤコブとヨハネはイエス様の右と左に座ることを願います。イエス様は彼らの願いを持ち続けるためには多くの苦しみを味わわなければならないことを諭されます。二人は覚悟のあることを伝えます。しかしお決めになるのはイエス様ではなく神様です。
 ペテロさんは一番弟子と言われてよい使徒です。その彼もイエス様が最も大変なときに三度もイエス様のことを知らないと言うただ一人の弟子でもあります。
 最近国境なき医師団のホームページをよく見ます。最も医療を必要な人に手を差し伸べるという願いを持っておられる皆さんは、薬がなくて設備がなくてあるいは病院くる道が遠いから危険だからといったことで救えない命と向き合っておられます。想像を絶する痛みを味わっておられることでしょう。それでも願いを持ち続けておられます。
 勝利とは現実を変えることではないと思ういます。それは神様が決められることです。それでも人は願いを持ち続けることができます。捨てそうになることもあるでしょうし捨ててしまう人もいるでしょう。十字架の勝利とはイエス様がわたしたちを罪から解放するという願いを最後まで捨てずに今ももちづけておられることだと信じています。

聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
(c)日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988

 今回週報をgoogleドライブで作ってみました。
 説教は原稿もとに話しましたが先週よりは長くなっちゃいましたがそれでも11時30分までには礼拝を終えることができました。


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Posted by C3 at 22:21│Comments(0)礼拝式報告
 
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